【ビートたけし本紙客員編集長の新春毒ガス放談】平成最後の新年にあたり、ビートたけし本紙客員編集長(71)が“平成の時代”について「2度の震災が強烈。昔なら遷都してた」と独自の視点で振り返った。自身にとって大きな出来事は、平成6年(1994年)のバイク事故。「気絶しちゃって、あの時は死んだと思った」と、衝撃の大きさを改めて告白。その3年後、ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞して「ようやく持ち直した」という。ベルリンの壁、ソ連の崩壊から自身の独立騒動まで、平成の30年分の毒ガスを噴射しまくった。

 平成って時代は地球規模での転換期だったね。化石燃料のツケがはっきり回ってきて、エネルギーの問題が出てきた。

 ほかに台風だ地震だ豪雨だ猛暑だって、あらゆる自然災害が起きたし、天皇陛下が現役のまま退位するってことまでも起こった。50年後、100年後から振り返ると、この時代から世界がおかしくなってきたっていうターニングポイントみたいなところがあるな。

 平成7年には阪神・淡路大震災(1月)と地下鉄サリン事件(3月)があった。オレにとっても最悪の時だったな。オレは平成6年8月にバイク事故を起こしてるんだけど、阪神・淡路大震災とサリンの時には、まだテレビ復帰してなかったからね。

 バイク事故は、気絶しちゃって自分でも死んだと思ってた。その後、しばらくは「あん時、くたばってりゃよかったな」と思ってたもんな。

 事故の後、テレビ復帰(平成7年3月)しても視聴率は上がらないし、言葉もよくしゃべれないし。ただ、やっぱ、映画「HANA−BI」でベネチア映画祭の金獅子賞(平成9年)でしょ。よく賞くれたなーって思った。それから持ち直したんだもん。

 それにしても、オレをオウムシンパなんて書きやがった雑誌があったな。事件のずっと前に「TVタックル」で麻原彰晃と対談したんだけど、タックルのスタッフが麻原を呼んだだけなのに、オレが司会者だからって、オウムのヤツらはオレと写真撮ったのを利用しやがって。ひでー目に遭ったな。

 阪神・淡路大震災と東日本大震災(平成23年)は強烈だった。昔だったら、必ず遷都してただろうね。他にもいろいろ大災害があって、2、3回は遷都しててもおかしくないよ。