フレディとカラオケを歌ったゲイバーのマスターが本紙に激白!“伝説のバンド”クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリー(1991年死去)の伝記映画「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒット中だ。45歳の若さで他界したレジェンドには逸話も多い。東京・新宿2丁目の老舗ゲイバー「九州男」を営む「まっちゃん」こと増田逸男さん(71)がフレディと過ごしたアツ~い一夜の貴重な証言を本紙に大激白――。

 フレディが付き人と九州男に初めて来たのは、最後の日本ツアーで来日した1985年5月だ。当時、増田さんはクイーンを知らなかった。第一印象も「まあ、普通の外国人?」。

 増田さんを気に入ったフレディの計らいで東京公演3日目(5月11日)のバックステージパスをもらい、知人2人と一緒に会場の代々木第一体育館へ。最前列の家族席が用意され、たっぷりとコンサートを堪能した。

「うまいとかは分かんないけど、プレスリーの監獄ロックを弾きながら歌ったのは『さすがだな~』と思った。ピアノもうまいし歌もすごいし『あ、やっぱりすごい人なんだな』って」

 終演後、パスがあったおかげでメンバーのいる楽屋に入った増田さん。

「クイーンのメンバー3人が美女たちと談笑していたんだけど、フレディだけ一番奥ですしを食べていたの。机に両ひじを突いてうずくまり、ボ~ッとね」

 増田さんが「おつかれさま~」と声を掛けるとフレディはうれしそうに「あ! 来てくれたの?ありがとう。君たちもすし食べて」。そして「後で君の店行くから」と約束。深夜1時ごろ、また付き人と九州男に来た。

 フレディらとひとしきり飲むとみんなで他店に移動。増田さんは大胆にもフレディに「何か歌いなさいよ」とカラオケを勧めた。渋るフレディに代わって、増田さんがマイクなしで昔の歌謡曲を披露するとフレディは即興でそれに合わせ始めたという。

「オペラ調で私も声を張り上げて歌ってたから、向こうも張り上げて大きな声で歌ってたよ。両手広げてウァ~って」

 その後、増田さんはフレディらとリムジンに乗って、宿泊先のホテルオークラに向かった。車中、付き人は疲れて座っていたが、増田さんとフレディは酔いに任せて大ハシャギ。

「お互いただの酔っ払いよ。外苑西通りを走ってたとき気分が良くてね。ルーフを開けて2人で顔出して、星空にウァ~!って手を振りながら」

 フレディと同じ部屋に泊まったが、増田さんが目覚めたときは、まだフレディは爆睡中。激しいコンサートと夜遊びをしたのだから無理もない。

「記念に何かもらいたかったけど、寝ていた彼を起こすわけにもいかず…。枕元に飾ってあったカウボーイハットが印象的でした」と起こさずにその場を後にした。

 翌86年の10月11日夜にも、増田さんは、新宿2丁目でフレディとバッタリ再会したことがある。だが、ちょうどその時期はフレディが自身のHIV感染を知ったころ。伝記によれば正式に陽性の診断をされたのは87年前半だ。映画では、エイズに侵される前の“わがままフレディ”が随所に出てくるが、増田さんの印象は違う。

「あんな人じゃなく紳士。映画で見たわがままは感じなかった。もっと優しい」

 増田さんにとってフレディとの思い出はどれも良いものばかりだ。

【映画は公開以来大反響】映画「ボヘミアン・ラプソディ」(ブライアン・シンガー監督)はフレディの生きざまを数々の名曲で彩る伝記映画。クイーンのメンバーは俳優が演じている。日本では9日に封切られると、興行通信社調べの観客動員数(10、11日)で初登場1位に。翌週も1位を保ち、3週目は2位に下がったが、テレビの情報番組でも連日のように取り上げられ、大反響を呼んでいる。