急死・勝谷誠彦氏に 元上司・花田紀凱氏「作家になるべき人だった」

2018年11月29日 16時30分

勝谷さんの遺影

 28日に肝不全のため57歳で死去したコラムニスト・勝谷誠彦氏の通夜が28日、故郷の兵庫県尼崎市の斎場で営まれ、故人がファンだったアイドルグループ「ももいろクローバーZ」の玉井詩織(23)と高城れに(25)ら約300人が参列した。週刊文春記者を経て、フリーに転じてからは執筆、テレビ番組の辛口コメンテーターとしてその舌鋒の鋭さで知られた。文春時代の上司や“戦友”が勝谷氏の秘話を公開し、悼んだ。

 勝谷氏は8月、アルコール性の劇症肝炎と診断され緊急入院。9月30日にツイッターで「奇跡的な復活が見えてきました」として活動再開を宣言し、イベントやラジオ番組収録にも参加したが、26日に容体が急変。28日、息を引き取った。

 通夜会場を訪れた「ももクロ」の玉井と高城は、勝谷さんとは5~6年前に番組で共演して以来「かっちゃんパパ」と呼ぶほどの仲だったという。玉井は「10周年ライブにも足を運んでくださった。お元気そうな姿を見てたのですごいショックです」と語った。

「テレビで見てると辛口で怖いってイメージでしたが、私たちと会うと毎回、優しい笑顔で『いつも頑張ってるね』と言ってくれた。私たちが10代のときから応援してくださって『みんなが成人したら、焼き鳥屋に飲みに行こう』と誘ってくれた。かなうことはなかったんですけど、いつも私たちのことを気にしてくれてた」と涙を浮かべた。

 勝谷氏は早大卒業後、文芸春秋に入社。「週刊文春」時代の上司で、本紙「マン激!!」のコラムでもおなじみの花田紀凱氏(「月刊Hanada」編集長=76)は同誌で勝谷氏が連載を持つなど、長い付き合いだっただけに「本当に早すぎる…」と言葉を絞り出した。

 重度のアルコール性肝炎で、緊急入院した際も「酒をやめろ」と忠告したが、時すでに遅し。切れ味鋭いコメントで、豪放磊落(らいらく)に見えるが、花田氏は「実は繊細で寂しがり屋。特に前の奥さんと別れてからは酒に逃げてしまったのかな」と悔やんだ。記者としての資質には「硬軟両方こなす、非常に優れた書き手。原稿が早くて面白い。部下として非常に優秀だった」と振り返る。

 1989年に発覚した東京・綾瀬の女子高生コンクリート詰め殺人事件では少年だった犯人の実名報道をめぐり、当時「週刊文春」編集長を務めていた花田氏が勝谷氏ら取材班にGOサインを出したことで知られる。また、「写真誌『Emma』時代には、甲子園球児を取材し、夜に宿舎を抜け出して、たばこを吸っている記事を送ってきた。粘り強く取材していた」と地道な取材力にも定評があったという。

 勝谷氏は昨年7月の兵庫県知事選に立候補し、落選。もともと作家志望だった勝谷氏には、書きかけの小説があったという。

「かつてのユダヤ人になぞらえて、国を失った日本人がどのように生きていくのかという小説。結構な分量があって『とにかく書き上げろ』とハッパをかけていたのだけど…。作家になるべき人だった」(花田氏)

 通夜には“戦友”で「不肖・宮嶋」ことフォトジャーナリスト宮嶋茂樹氏(57)も訪れた。「不肖・宮嶋」の名付け親は勝谷氏で、付き合いは20代から。湾岸戦争やカンボジアのPKO取材などでともに活動してきた。最後に会ったのは今年の夏。

「相変わらず悪態をつくので安心してた。今日の日を予期できないくらい元気でした」(宮嶋氏)

 取材力のある人と勝谷氏を語る宮嶋氏が、2人で行った最も印象的な取材は「三重・渡鹿野島の潜入取材」とニヤリ。かつて“売春島”と呼ばれた島だ。

 勝谷氏が早大在学中から風俗のフリーライターとして腕を鳴らしていたのは有名な話だが、宮嶋氏は「3日間くらいの取材だったんですけど、1日目が終わると『体調悪いんで帰るわ』と、私を残して尼崎の実家に帰った。もともと風俗ライターで、潜入取材なんて水を得た魚のようになるはずだったのに、残された私はあとの2日間、針のむしろでしたよ」と懐かしそうに振り返っていた。