山本リンダ 恩人さくらももこさん死去に涙「感謝している」

2018年08月29日 11時00分

出演秘話を明かした山本リンダ

 国民的アニメ「ちびまる子ちゃん」(フジテレビ系)など数多くの作品で知られる漫画家さくらももこさんの訃報に、一夜明けた28日も悲しみが広がっている。さくらさんは27日、乳がんのため15日に死去していたことが発表された。53歳だった。まる子ちゃんといえば、5月に亡くなった歌手西城秀樹さんら、アニメ内で1970~80年代のスターを子供たちが知った再ブームの火付け役でもあった。その一人、歌手の山本リンダ(67)はさくらさんに「本当に感謝しています」と出演秘話を明かした。

 さくらプロダクションから死去が伝えられた故人の公式ブログには、28日も「まるちゃん、いつまでも」といったファンのコメントが前日に続いて寄せられた。スポーツ各紙のみならず、一般紙も1面で報じた。

 訃報に大ショックを受けた一人が、「どうにもとまらない」(1972年)など多数のヒット曲で一世を風靡した山本リンダ。27日、本紙の取材に「突然のことでビックリしました。私のレビューを見に来てくださり、その後も年賀状やお花をいつもいただいていました」と早すぎる死を悼んだ。

 さくらさんがリンダをアニメに登場させたのは90年。翌年、リンダのコンサートには子供たちが母親と殺到。若者にも広がり“第3次リンダブーム”につながった。

「私は『ちびまる子ちゃん』のアニメを知らなくて“子供がサインを欲しがっている”と聞いて漫画とアニメを見て、私が出ていると知ってビックリ。3世代、4世代と知ってもらって、すごくうれしかったのをさくらさんにもお伝えすると『私も大ファンでした』と笑顔で言っていただきました」(リンダ)

 95年8月の放送回ではリンダ本人もアフレコを務めた。それだけにリンダは「またお会いして感謝を伝えたかった。来世で生まれ変わっても子供たちに夢を与える漫画を描いてほしいですね」と残念がり、故人の冥福を祈った。

 同プロダクションの発表によると、さくらさんは15日午後8時29分、乳がんのため永眠。84年に漫画家デビューしたさくらさんが30周年を迎えた際、発表した言葉を改めて紹介した。

「30年間、良い事も大変な事もいっぱいありましたが、私は作家としてとても幸せな月日を送らせていただいています。感謝にたえません」

 さくらさんは86年に地元静岡から上京し、後に代表作となる「ちびまる子ちゃん」の連載を少女漫画誌「りぼん」(集英社)で始めた。小学3年生の主人公「まる子」と家族、個性的な友人たちとの日々を描いた作品は90年にアニメ化され、国民的人気番組に。自ら作詞を手掛けた主題歌「おどるポンポコリン」(B・B・クィーンズ演奏)のCDは160万枚を超える大ヒット(オリコン調べ)となった。

 国民的アニメは多くの“まる子効果”をもたらした。作中には70~80年代のスターが登場し、それまで知らなかった子供たちに影響を与えた。まる子の姉さきこが大ファンという設定の西城秀樹さんをはじめ、山口百恵さん、松田聖子、そしてまる子が「ウララ~ウララ~」とまねたのがリンダの大ヒット曲「狙いうち」(73年)だった。

 さくらさんは5月、秀樹さんの死去を受けて、ブログで「(エンディングテーマの)『走れ正直者』を歌っていただきとても楽しいテーマ曲になりました。私達の世代にとって秀樹さんは本当にスターでした」としのんだばかりだった。

 このため、さくらさんの訃報でファンからは、インターネット上で「天国で秀樹さんと楽しくお話したり、歌ったりしてくださいね」など、西城さんとの関係をつづる声も上がった。

 スポーツ界では、同じ静岡・清水出身でサッカーのJ1FC東京監督を務める元日本代表FW長谷川健太氏(52)が縁深い。長谷川監督はクラブを通じ「突然の訃報に驚いております。心よりご冥福をお祈り申し上げます」とコメントした。2人は小学校時代のクラスメート。さくらさんは当時の思い出を元に、「ちびまる子ちゃん」に登場するサッカー少年「ケンタくん」を描いたと言われる。

 集英社によると、単行本などの関連書籍の発行部数は累計3200万部に上る。89年に「ちびまる子ちゃん」で講談社漫画賞を受賞した。フジテレビによると、日曜午後6時から放送されているアニメ「ちびまる子ちゃん」は放送を継続するという。

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