92歳死去・菅井きんさん老け役伝説 年寄りに多い芸名にショック

2018年08月24日 16時30分

2008年、ギネス世界記録に認定された菅井きんさん

 テレビ時代劇「必殺」シリーズなどに出演し、名脇役として活躍した女優の菅井きん(本名・佐藤キミ子)さんが10日午後2時、心不全のため都内の自宅で亡くなっていたことが23日、わかった。92歳だった。同シリーズでついたイメージをめぐるマル秘エピソード、嫌で仕方なかった芸名秘話など、関係者が菅井さんをしのんで明かした。

 事務所関係者は「足を悪くして車椅子に乗ったりはしていたが、ずっと元気にしていた。9日に、ウチの社長がたまたまご自宅に電話したら、本人とは話せてないが娘さんが応対してくれて『元気ですよ』と聞いていた。その翌日に急逝。年も92なので、老衰という感じではないでしょうか」と明かした。

 菅井さんは1926年2月28日、東京生まれ。46年に「東京芸術劇場研究所」に入所し、翌年に「林檎園日記」で舞台デビュー。演劇で活躍しながら、映画もこなし、親しみのある演技でバイプレーヤーとして数多くの作品に出演した。特に「必殺」の藤田まことさん(享年76)演じる“中村主水シリーズ”では、姑役として登場し「ムコ殿!」と痛快にいびりまくり人気を得た。

「菅井さんが最初に出演したのが、73年の『必殺仕置人』。脇役一筋だった菅井さんにとって“中村せん”という名字が付いた役は初めてだったそうで、最初は喜んでいた」(テレ朝関係者)

 当時はイビるシーンがあまりにすごいため「娘が嫁に行けなくなる」と心配した菅井さんが、降板を申し出たというエピソードが有名だ。

 だが、同関係者は「実際に娘さんが『結婚する』と言った時、菅井さんはものすごくショックを受けたらしい。というのも、その時娘さんは米国留学中で、相手が米国人だと勘違いしたため。戦争を経験している菅井さんだからショックだったんだけど、実際は同じ学校に通う日本人だったので、安心したそうです」と当時を振り返る。

 菅井さんが女優を志したのは20歳のころ。当時は東京大学の学生課で働いていた。

「戦時中は、非常時に国が強制的に動員して国民を仕事に就かせることがあった。いわゆる徴用というものですが、菅井さんは“徴用逃れ”のために、文部省(当時)や東大の職員として働いていた」(演劇関係者)

 46年に舞台「人形の家」を見て役者に目覚めた。父親には「女優は美人がなるものだ!」と猛反対されたが、本人の意思は固く東京芸術劇場の研究生となった。

 そこで初舞台を踏むにあたり、芸名“菅井きん”になったが、本人はこの名前が嫌でイヤでしようがなかったという。

「菅井きんという芸名は、(結婚前の)本名の『須斎キミ子』から取ったもの。演出家が付けてくれたそうですが、失礼ながら『きん』という、お年寄りに多い名前を付けられてショックだったそうです。当時まだ21歳だったから、もっとかわいい芸名を付けたかったのでしょう」(同)

 若いころから老け役が多かっただけに、一般的には“菅井きん”はピッタリな芸名と思われていたが「本人がこの名前を気に入るようになったのは、かなり後になってからだったらしい」(同)。

 84年に公開された映画「お葬式」では、翌年の日本アカデミー賞「最優秀助演女優賞」を受賞。「菅井さんの代表作」といわれるが、映画関係者は「必殺シリーズの影響で、嫁をイビる姑役が多かった菅井さんだが『お葬式』は普通の主婦の役だった。その演技を評価されたことで、本人の喜びはひとしおだったようだ」と語る。

 2008年には映画「ぼくのおばあちゃん」で初主演を飾り「世界最高齢映画主演女優」としてギネス認定された。

 16日に通夜、17日に葬儀・告別式を親族のみで済ませたという。