【小島よしおの履歴書(連載4)】まさかのイップス! お笑い芸人・小島よしお(37)は実は、野球の“松坂世代”でもある。千葉の進学校・稲毛高野球部で左投手だったが、1年時の練習試合で大暴投を連発、「小島ボール」とやゆされてしまった。のちに“投手失格”を通告される憂き目に遭ったという。

 小1から始めた野球は、千葉の稲毛高硬式野球部でも続けました。部員は全体で30~40人くらいだったかな。

 入学当初はコントロールのいい左投手でしたが、1年の時の練習試合で“事件”が起きます。

 練習試合では別の投手が先発で4回まで、僕は5回以降と決まっていました。その日も2回くらいからブルペンで投球練習を開始しましたが、先発が乱れます。でも、練習試合のスイッチは「イニングで」と決めてあるから監督は代えません。

 先発が崩れ、試合が間延びしているため僕の登板まで時間が空きますが、投球練習は続けました。その日は調子が良く、ブルペンで球が走っていたので。100球くらい投げたかな。途中でやめませんでした。

 野球好きの読者の方々はご存じだと思いますが、当時は今ほど「肩は消耗品」という認識が浸透していませんでした。

 5回、ブルペンで投げ過ぎ、ヘトヘトに疲れた状態でマウンドに上がりました。下半身の粘りが全然利きません。リリースポイントが早くなり、捕手が捕れない大暴投が続きました。

 四球連発。1イニングで10点取られ、試合をブチ壊しました。当然、みんなあきれていました。

 この練習試合以降、トラウマに陥って投げ方が分からなくなり、投手として使い物にならなくなりました。捕手が捕れない大暴投は「小島ボール」とやゆされ、イジられました(苦笑)。

 カーブが得意で、MAX130キロを計測したストレートさえよければいい投手になると言われていたんだけどなあ…。あの練習試合で抜けた球もやはり、すべてストレートでした。

 投手として自分を見失っていましたが、投球練習は続けました。2年秋くらいになると、打撃が開花します。「上体が前に突っ込んでいて差し込まれているから二ゴロになる。のけぞるくらいの気持ちで打て」という監督のアドバイスのおかげでした。

 最初は「えっ!?」と半信半疑ながらも練習で試してみると、ボールがよく見えるようになり、芯に当たって右中間にバンバン飛びます。練習試合で打てるようになりました。

 迎えた3年春、4万円くらいしたオレンジ色のミズノの投手用グラブを買った後に、監督から一塁転向を告げられます。仕方がありません。制球難は直りませんでしたから。肩の荷が下りた感もありました。中学3年間で一塁はやっていて、レギュラーでもあったので慣れていました。

 打撃は相変わらず好調。器用に逆方向に流し打てるタイプではありませんでしたが、右中間に鋭いライナー性の当たりを飛ばす打者でした。

 5月か6月だったと記憶していますが練習試合で本塁打を打ち、打順が4番に昇格。最後の夏の県予選の千葉大会も4番で迎えます。

 ところが、ここでも例の「小島ボール」が…。次回は、最後の夏の話です。

☆こじま・よしお(本名小島義雄)。1980年11月16日、沖縄生まれ、千葉育ち。2006年、早稲田大卒業。翌07年にギャグ「そんなの関係ねぇ!」でブレークし、同年の新語・流行語大賞でトップテン入りを果たす。16年7月に一般女性と結婚。今年8月25日、単独ライブ「小島よしお的おゆうぎ会 メリーゴーランド」(東京・CBGKシブゲキ!!)を開催する。血液型=O。178センチ、70キロ。家族は両親と兄。