16日に急性心不全のため死去した歌手の西城秀樹(本名・木本龍雄=享年63)さんの通夜が25日、東京・青山葬儀所で行われた。西城さんとともに1970年代に「新御三家」として人気を博した郷ひろみ(62)、野口五郎(62)ら多くの関係者、そしてファンが参列した。

 西城さんは1974年から83年まで、大阪球場で毎年ライブを行った。ソロ歌手としては初めての野球場での公演であり、その功績をたたえて祭壇は大阪球場をモチーフに作られた。バラなどの花で飾られ、中央には西城さんが使っていたマイクスタンドが置かれた。

 郷は「残念ですよね。早すぎます。残していった子供たちを見て、余計に胸が痛いという気持ちです。デビューした時は一緒にいることが当たり前だったので、ぽっかりと胸に穴が空いてしまったという感じです。独特の個性を持っていたから、皆さんに『新御三家』と呼ばれたのかなあ。僕は後からデビューしたから、背中を見るように一生懸命学んできた。残念です」としのんだ。

 西城さんと同じレコード会社で先輩だった和田アキ子(68)は「つらいですよね。『お前、すごいな』と遺影に向かって(言った)。なんとなく(西城さんが)『いやあ』と(言っている)ような気がしてつらいですね。本当に残念です。無念です。本当に『ゆっくりゆっくり休んでください』ですね」。西城さんの死が本当にショックだった様子で、涙を流しながら何度も「残念です」と繰り返した。

 西城さんの法名は「修音院釋秀樹」。「修」は西城さんの父親の院号から1字取り、「音」は音楽界で歌を通して世界中の人々に夢を与えた偉大な功績を表している。「秀樹」は芸名として長く親しまれていることから、読み方もそのままに法名とした。