栗城史多さんの“エベレスト死”無謀な挑戦だったのか

2018年05月23日 11時00分

亡くなった栗城史多さん(AP)

 無謀な挑戦だったのか――。登山家の栗城史多(くりき・のぶかず)さん(35)がエベレスト下山中に死亡したことが21日、栗城さんの事務所から明らかにされた。2009年に初めてエベレストに挑戦するも、ことごとく壁にはね返され、8度目の挑戦となった今回は最難関とされる「南西壁ルート」での登頂を計画。それも「単独・無酸素」という厳しい環境下だった。アルピニストの野口健氏(44)は本紙取材に「僕の感覚だと“ありえない”」とした上で、栗城さんの死を多角的に分析した。

 栗城さんは4月17日から、8度目のエベレスト登頂に挑戦。自身のフェイスブックで「苦しみも困難も感じ、感謝しながら、登っています」と伝え、今月20日には7400メートルに到達したことを報告していた。

 ところが翌21日に事態は急転。「体調が悪く、7400メートル地点から下山することになりました」と書き込んだあと、無線連絡が途絶え、標高6400メートルの「キャンプ2」から出発した捜索隊が21日に遺体を発見、収容した。死因など詳しい状況は不明。

 事務所によると、栗城さんは2004年の北米デナリ(旧称マッキンリー)を皮切りに6大陸の最高峰を制覇。09年から最後に残ったエベレスト登頂に挑戦したが、ことごとく失敗。12年にはヒマラヤのジェット気流の強風に悩まされ、下山途中に重度の凍傷を負い、両手の指9本の大部分を失った。

 それだけに8度目のエベレスト挑戦には、山岳関係者からも「無謀だ」という声が続出。しかも栗城氏は多くの登山家が使う「北稜ルート」「南東稜ルート」ではなく「南西壁ルート」を選択。このルートは岡田准一主演の映画「エヴェレスト 神々の山嶺」でも描かれており、通常ルートとは別次元の難度だ。例えるなら、東京タワーの中の階段を上るのと、外側をよじ登るほどの差がある。

 さらに栗城さんが目指したのは酸素ボンベを持たない「無酸素」での単独登頂。これまで成功者はいないとされている。山頂付近の気温はマイナス30~40度で、空気も薄い。重たい荷物も1人で担がなければならない。

 7大陸最高峰を登頂しているアルピニストの野口氏は本紙取材に「栗城さんは両手の指9本の第2関節から先がありません。これでは岩もつかめないし、ピッケルを使うにも不自由が生じます。相当なハンディがあるなかで、南西壁を無酸素・単独というのは、僕のなかでは“ありえない”。私も彼に『それはむちゃだ』と進言したことは何度もあります」と話す。

 同氏は栗城氏が体調不良を訴えていたことにも注目。「熱と咳の症状が出ていたと聞きましたが、肺炎に近い状態だったのではないか。私も今春にエベレストを訪れましたが、例年より寒く、空気も乾燥していました。こういう時は肺炎が流行します。私が行った時もベースキャンプで咳をしている人が何人もいました」という。

 加えて、栗城さんは山頂アタックで定石とされる荷揚げをしていなかった可能性が高い。荷揚げとは荷物だけを山頂付近のベースキャンプまで一旦持っていくこと。野口氏は「栗城さんは荷揚げせず、一気に山頂アタックするつもりだったでしょう。これだと持っていける荷物は限られてくる。標高8000メートルの寒さに耐えうる寝袋はかさばるので、持っていかなかったのではないか。これが低体温を進行させる原因になったのかもしれません」と指摘する。

 とはいえ、栗城さんの飽くなき挑戦が多くの人を勇気づけたこともまた事実だ。野口氏も「普通にエベレストに登るのではなく、誰も成し得なかったことにチャレンジすることが彼の信念だったと思います」。

 22日にはネットテレビのAbemaTVで山頂アタックの瞬間が中継される予定だった。野口氏は「応援する人やスポンサーに罪はありませんが、そうした方たちの期待を受け、彼も引くに引けなくなった部分はあると思います。今回のように誰もが『大丈夫?』と心配するケースでは、周囲が冷静に見てあげることも必要だと思います」と指摘する。

 栗城さんの死を無駄にしてはならない――。