海は地表の約7割を占める。陸上で生活する我々人間にとって、そこは未知の領域である部分がまだ多く、すべての生命を把握できているとは言いがたい。海、水中にすむ生物は陸上のものとはまた違った形状や生態を見せ、我々を驚かせてくれる。それゆえ、数々の未確認生物をいまだに輩出し、モンスターとして畏怖の念を抱かせてきた歴史があった。

 今回紹介する未確認生物は畏怖の念や畏敬の念とは少し違うが、“聖なる”尊敬を集める存在が海の中にいるのではないかという話である。

「ビショップフィッシュ」または「シーモンク」「シービショップ」と呼ばれる存在をご存じだろうか? 直訳した通り、「司教の魚」「海の修道士」を意味している。中世ヨーロッパでは海の中にも人間としての僧侶がいると考えられていたようで、怪物のようなものではないのかもしれない。

 それぞれがまったく違う存在なのか地域による差なのかははっきりしていないが、似通った生命体が様々な角度で捉えられているという点では実在の可能性が高いとも考えられる。では、どのようにしてビショップフィッシュは人々に認識、発見されてきたのだろうか。

 時は15世紀、ヨーロッパは大航海時代に入り、海という困難を乗り越えながら世界中に進出した。科学の発達によって交易が広がり、異文化交流も発展だけでなく、知識の探求によって常識が覆されていった時代でもある。多くの人が海に対して未知の世界へ恐怖心と探究心を持っていただろう。

 余談ではあるが、地表は平らで世界の端は海の水が流れ落ちていくとされる地球平面説と言われる見解は、中世ヨーロッパではあまり信じられていなかったらしい。それでもこの世界がどのような形をしているのかは把握されていなかった時代である。

 もとは民話の中などで語り継がれる存在で、魚としては大きな体は人間と同じサイズ。形状は魚のようだが、尾びれにあたる部分が人間の足のようで二足歩行も可能。胸びれは発達して人間の手のようになっており、カギヅメのような指を持つ。頭部は司教の冠のように円すい状であったり僧侶らしい頭だったりもする。体表がうろこで覆われているというのはだいたい共通している見解のようだ。

 ビショップフィッシュが海で泳ぐ姿が15世紀中ごろには書物に描かれているという話もある。

 海にすむ人型の未確認生物といえば、人魚を想像する人が多いと思われるが、人魚は割と陸上の人間に害をなす存在として知られている。美しい歌声で船乗りをおびき寄せて船を難破させることで有名だ。日本の妖怪では海坊主がいる。海坊主もまた船を破壊する存在だ。これらも海への畏敬の念が生んだイメージなのではないかと言われている。

 しかし、ビショップフィッシュには特に怖いエピソードはない。

 スイスの博物学者コンラート・ゲスナーの著した「動物誌」(全5巻=1551〜1558年)には修道服を着た魚のような生物がドイツ〜ポーランド付近の岸に打ち上げられたという記述があるそうだ。

 ちなみに「動物誌」は近代動物学の礎となったとも言われ、南方熊楠にも大きな影響を与えている。

 人間に発見されたビショップフィッシュは王に献上された、「逃がしてほしい」とジェスチャーで伝えた、海に返してもらった時にカギヅメで十字を切った、食べ物を与えようとしたが断って死んだ、などの逸話がある。

 ビショップフィッシュの正体は人魚におけるジュゴンのように、当時は未知であった海洋生物の誤認だとも推測されている。人々に語り継がれる間に、または文献になった挿絵によって尾びれがついたりして、目撃情報の面白い部分が膨らんだのかもしれない。そのため、まだはっきりとした正体は解明されておらず、未確認生物のままだ。

 世界中にはまだ知らないことは山のようにあり、そこに対して人間は自分なりの想像力を働かせて少しずつでも理解を深めていくのである。これから新たな海洋生物の研究が進み、ビショップフィッシュの正体が判明する時がくる可能性もあるのだ。