【87】モスマンは明治14年に日本に飛来していた!?

2015年01月30日 12時00分

モスマンのイメージ(上)と熊蜂

 明治14(1881)年6月15日の「東京絵入新聞」に、奇妙な生き物に遭遇・撃退したという記事が掲載された。

 大阪から京都にまたがる山中で、奇妙な鳥が目撃されるようになった。その大きさは子牛ほどもあり、両翼を広げれば天をも覆うほどの大きさがあるとのことで、現地の人々はみな恐ろしがっていた。

 ある日、その噂を聞きつけた十津川の猟師で三次という名の者が同業者を1人連れ、怪鳥が現れるという山に分け入った。

 やがて、はるか遠くの峰に前出の怪鳥の姿を見受けることができたので、三次はすかさず怪鳥を仕留めるために猟銃を撃った。

 しかし、弾は怪鳥に当たることなく外れてしまい、さらに先ほどの一撃に怒ったのか、怪鳥は弾込めしていた三次に襲いかかり、彼の背中をわしづかみにした。

 このままでは捕まってしまうと慌てた三次は懐の小刀で帯を切り、怪鳥が捕んでいた上着を脱ぎ捨て地べたに身を伏せた。すると、怪鳥はそのまま彼が脱ぎ捨てた上着をつかんだまま、はるか遠くへ飛び去って行ったという。

 これだけでも十分に未確認生物と接近遭遇した恐怖体験になるが、このまま逃げ帰って他の猟師に手柄を取られては地元猟師の名折れといって、三次はすぐに支度を整え、仲間の猟師らとともに再び山に分け入った。

 そう、怪鳥にリベンジを挑んだのである。

 そして、彼らははるか遠くの木にとどまり、悠然と空を見る怪鳥の姿を捉えた。この時、見えた怪鳥の様子は「非常に眼光が鋭く、まるで妖怪変化のようだった」という。

 姿こそ恐ろしいが、逆に羽を休めている今こそ狙い目だと考え、三次たちはみな猟銃の筒先を怪鳥に向け、一斉に引き金を引いた。さしもの怪鳥も狙いを定めての一斉射撃にはかなわなかったか、木から大きな音を立てて落ちていったという。

 彼らが仕留めた怪鳥の正体は、近寄ってみて初めて明らかになった。それは身の丈六尺三寸(約189センチ)、重さ十六貫(約60キロ)にもなる巨大な熊蜂だったという。

 この関西の巨大熊蜂退治はその大きさや習性が詳細に語られているという点で非常に興味深い。同時に、詳細な計測結果が出ているからこそ、果たして彼らが本当に仕留めたのは巨大化した昆虫だったのだろうか、という疑問も湧く。

 もしかすると、彼らが仕留めたのは全く未知の生物で、身体的特徴(羽がある、黒い剛毛が生えている、目が大きく光る)から既知の生物の蜂が巨大化したものであると結論づけたものかもしれない。

 実は、先に挙げた身体的特徴を備えるUMAが存在しているのだ。その名は「モスマン」。米国で目撃され、出現すると近い将来、不幸な事件が起きるとされる有名なUMAである。

 この巨大熊蜂が目撃された明治14年は憲法の制定をめぐって伊藤博文と井上毅が対立する大隈重信と慶應義塾門下生を政府から追放するという政治事件が起こっている。

 もしかすると、この巨大熊蜂は揺れ動く政界と日本の現状を予知して飛来したのかも知れない。

 

■関連動画■Angel volando a un edificio( モスマン 不幸を呼ぶ未確認生物)

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