石川県能登半島の突端部に存在する能登町には猿とも鬼とも区別がつかない凶暴な化け物「猿鬼」がすみ、人里に下りてきては悪事を働いていたという伝説が存在している。

 猿鬼は最初のうちは大西山(柳田村=現鳳珠郡能登町)にすむ善重郎という猿に従っていたのだが、やがて他の猿を率いて田畑を荒らすなどの悪さを行うようになったため、善重郎や村人たちによって大西山から追い出されたという(一説には善十郎猿ではなく大西山の神が追い出したとされている)。

 しかし、追い出された猿鬼と配下の猿たちは、今度は近隣の柳田村(当時)を拠点に悪事を働くようになった。

 猿鬼らの悪事は日を追うごとにひどくなり、ついには出雲で行われた神々の会議の議題にとり上げられ、気多大社の神を大将、大幡神杉姫を副将にして猿鬼討伐の神軍が結成されるに至った。

 神軍は柳田村まで進軍していったが、猿鬼に不意を突かれて敗走してしまう。

 この時、猿鬼は全身に漆を塗り、毛皮を固めて神々の矢や剣が体に届かないように強化していたとされている。

 普通に弓で射掛けても跳ね返されると考えた神々は「筒矢」というひと工夫した矢を準備して再び猿鬼に向かった。

 筒矢は文字通り筒状の先端部を持つ矢で、その内部にさらに細い矢を仕込んでおけば、外側が跳ね返されても中の細矢が猿鬼の体を傷つけるだろうと考えたのだ。

 

ヒューマンクリ-チャ-
ヒューマンクリ-チャ-

 こうして再び神軍と猿鬼軍は相まみえた。

 猿鬼は開戦早々に大将の気多大明神に襲いかかったが、その瞬間にすかさず神杉姫の放った筒矢が猿鬼の左目を射抜いた。

 猿鬼は左目から黒い血を流しながら逃走。迫る神軍への抵抗を続けるも配下の猿たちも壊滅状態となり、追い詰められて首をはねられたとされている。

 なお、この時、猿鬼の首から流れた黒い血によって染まったことからこの川は「黒川」と名付けられたという。

 神々は倒れた猿鬼の亡骸を手厚く葬った。これが柳田村大箱にある「鬼塚」であり、村人たちは猿鬼が隠れ住んでいた岩井戸の岩窟の近くに祠(ほこら)を建てて猿鬼の霊を祀った。

 これが現在の岩井戸神社であり、神社を取り囲む社叢(しゃそう)は天然記念物にも指定されている。

 なお、岩井戸神社境内の案内板には同じ石川県輪島市出身の漫画家、永井豪氏の描いた猿鬼くんのキャラが描かれている。

 猿鬼の岩窟も残っているが、昔に比べて今では小さくなってしまったとされている。