「ニューネッシー」…この名前を記憶されている読者も多いことであろう。1977年、日本のトロール漁船、瑞洋丸がニュージーランド沖で海底から謎の生物の死体を網で引き上げた。誰も見たことのない姿をしていたため、クレーンでつり上げて全身を確認してみることになった。この時に撮影されたのが、有名な「小さな頭に大きなヒレを備えた」生物の腐乱死体の写真であった。

 正しく太古に生息していたプレシオサウルスのものとしか思えないフォルムを持つこの生物の死体は、70年代のネッシーブームも手伝ってニューネッシーと呼ばれ、これぞネッシー生息の証拠と言われたりもした。

 このUMA界の一大発見は多くの人々の興味、関心を呼び、当時の新聞やテレビはニューネッシーの特集を何度も組んで正体に迫ろうとした。そして、類似のUMAの事例が紹介されたりもした。

 今回紹介するUMAはニューネッシーの事件で再び注目を集めた、瀬戸内海の島で発見された奇妙な生物の死体だ。

 ニューネッシー騒動からさかのぼること2年の75年5月12日、愛媛県八幡浜市の漁業従事者の宮田さんは同市沖合い15キロに存在する無人島、地大島(じのおおしま)の東南海岸にこれまで見たこともないような巨大な生物の腐乱死体が漂着しているのを発見した。ちなみに4月ごろには何かがあることに気がついていたが、近寄るまでは流木程度に考えていたという。

 死体は頭から尾の先まで約7メートル、頭は下顎が失われており約30センチ程度、カメやヘビに似ていた。首の長さは約1・2メートル、胴体は約4・5メートルで、先端にはオットセイに似た長さ約1メートルの尻尾がついていた。

 また、胴体の前後に長さ約1メートルのヒレがあり、ニューネッシー騒動後の新聞には「愛媛の海にもいた!? 二年前、そっくりの死体」「ニューネッシーにそっくり」と書かれていた。骨は全て白っぽい軟骨で分厚い脂肪の層があり、残っていた皮膚には黒い毛が一面に生えていたという。

 宮田さんは松山市の道後動物園に問い合わせたが、「アザラシかアシカの一種では」という要領を得ない回答しか得られなかった。そこで頭部のみ切り取って保存していたが、半年後には半分程に縮んでしまったため、捨ててしまったという。

 怪物を取材し、写真を撮影した読売新聞八幡浜通信部の村上記者は記事の中で、大きさに驚いたことや怪物の頭部を切り離すのに難儀したことを思い返しながら語っていた。

 果たして、この生物の正体は何なのか。山口敏太郎は古代の絶滅した巨大なカメであるアーケロンを挙げる。

 ちなみに宇和海には他にも怪獣の目撃例があり、死体漂着から約10年前に別の漁師が島のすぐ沖で海面に長い首をつき出した怪物を目撃している。

 日本でも瀬戸内海のような比較的人間に近い所に正体不明の怪物が生息していたというのは、非常に興味深い話といえるのではないだろうか。