以前、当連載では日本の文献に記されていた特撮怪獣のような未確認生物「ラガル」について紹介した。おそらく何らかのオオトカゲ系の生物の話が欧州に伝わるうちに怪獣のような姿になり、中国経由で日本に伝わったため、余計にこのような異形のディテールとなったものと思われている。

 一方で、スケッチこそ怪獣的なものの、体のサイズなどかなり正確な記録がなされており、伝聞ゆえに誇張された怪奇な姿になったとは考えにくい生物も存在している。

 慶応2(1866)年の6月9日朝、大阪城内のお堀に体長約2メートルあまり、尾約1メートル50センチの謎の生物が発見されるという事件があった。

 この事件は幕末期に相当な騒ぎになったようで、京都の町人の久兵衛による事件記録集「人のうわさ」や地下官人(じげかんじん=中世、近世の朝廷を裏で操った黒幕)の大國家が記した「幕末風聞書留」にかなり正確な記録が存在している。

 両方の書物には尾の長い4本足の生物が描かれており、「人のうわさ」の方は最近有名な羽毛恐竜に似ている。「幕末風聞書留」の方は一見、ヒョウのように見えるまだらの毛皮を持ちながらも、どこかユーモラスな怪物風だ。

 興味深いのは、どちらの資料でも正確な採寸がなされているという点で、体長や尾の長さは前述のとおり、胴回りは約190センチ、足の長さは96センチ、手(前足か?)は74センチとのこと。どちらの挿絵でも恐竜のような顔をしているが、確かに口も目も大きく、口は48センチ、目も10センチと記されている(文献では尺・寸で記載)。

 この「堀の主」とも呼ぶべき生物は見つかって早々に城代(じょうだい=中世、近世に大名から領土の守備を任された家臣)に報告されたそうだが、その後どうなったのかは分かっていない。

 そもそもこの生物は果たして何だったのか。大阪城内の堀に奇妙な生物が現れた、という報告は過去にも存在していた。昭和12(1937)年7月6日付の大阪朝日夕刊2面などで、大阪城の堀の底をさらってみたところ、およそ18キロもの巨大なオオサンショウウオが出現、「お堀の主が現れた」…と話題になったという事件が存在していたのだ。

 現在の人気番組で池などの水を抜いてみる企画があるが、大阪城の堀は少し変わった理由で水が抜かれたようだ。

 オオサンショウウオが見つかる前年には堀の水位が下がっていることが判明したため、原因調査や補水工事も行われたとのこと。

 なお、オオサンショウウオについては後に地元の人物が「30年前に36センチほどの個体を淀川で捕まえてしまったため、お堀に放したことがある。このサンショウウオが大きくなったのかもしれない」と報告している。

 真偽はともかくとして、町中に出現した理由としては妥当であるといえるかもしれない。

 では、あの怪物は何だったのだろうか。オオサンショウウオのように何者かが連れてきたとも思えないし、当時の人々が知っている生物とも思えない。まさか羽毛恐竜が時代を超えて幕末期の日本に出現したとも思えないのだが、果たして?