未確認生物の日本代表といえば、このツチノコである。ツチノコは現代でもどこかに生息しているのではないかといわれている幻の蛇だ。大きさは50センチから大きくても1メートルほど。体長の割に体は太く、尾は胴に比べて細い。三角形の頭をしていることから、毒があるのではと言われている。尾で立ち上がる、数メートル飛び跳ねる、さらに転がって移動するなど、普通の蛇とは思えない特異な身体的特徴を備えているとされている。

 実は2009年に東京スポーツさんと山口敏太郎は、仙台にツチノコが出現したと聞きつけ、現場に駆けつけたことがあるのだが、正体はビロードスズメガの幼虫だったということがある。

 その他にも、知人から都内を高速で走る足の生えたツチノコ(おそらく逃げ出したマツカサトカゲであろう)を目撃したという情報をもらったり、山形県在住のファンの方から、木に張り付いている昆布のような感じで胴が四角く広がったツチノコを目撃した、という情報をいただいたこともある。

 このように山口敏太郎の周囲でも、さまざまな目撃情報があるツチノコだが、このツチノコの原型となる妖怪がいる。

「野槌」ないしは「野槌蛇」と呼ばれており、全身を剛毛で覆われ、姿は獣に近いが目も鼻もなく、手脚もない。ただ、顔らしき場所に大きな口があるのみだ。柄のない槌のような形をしているため、「ノヅチ」と呼ばれる。

 このノヅチの記述自体は「古事記」「日本書紀」の時代から残されている。「カヤノヒメの神。またの名をノヅチという」という一文があり、さらに、このノヅチは鎌倉時代後期の僧、無住が記した仏教説話「沙石集」にも登場する。江戸時代には、類書(百科事典のようなもの)「和漢三才図会」にも野槌蛇としてイラスト入りで紹介されており、その他「濃陽史略」「桃洞遺筆」「野山草木通志」など様々な文献に野槌蛇のことが記されている。

 ノヅチと呼ばれる前にもツチノコは日本の歴史に登場している。長野県札沢遺跡から発見された縄文土器には、大きなマムシとみられる三角形の頭をした蛇が、何重にもとぐろを巻いた様子を透かし彫りにしている物があるのだ。この大きな蛇の上に、小さなツチノコとしか思えないシルエットの小蛇が3匹存在している。この子蛇は子マムシの偶像化だと考えられているが、外見は男性器と女性器の両方を組み合わせたような、デザインをしている。

 蛇は古来より天候と豊穣をつかさどる(脱皮を行うために生命力が強く、シルエットが男根を思わせるため出産と結び付けられた)と考えられていたため、縄文人は多産・豊穣のシンボルとして、ツチノコも信仰の対象にしていたのかもしれない。