サッカーリオ五輪の最終予選が13日(北朝鮮戦)から始まる。一部では今回は出場を危ぶむ声があるようだが、アジア全体がレベルアップしているから油断はできない。ただ、五輪出場が当たり前のように言われているが、1996年3月にアトランタ五輪出場を決めた際「28年ぶりの快挙」と騒がれたのがほんの20年前。それ以前は韓国や中東諸国、中国の後塵を拝していたのだ。そういう意味ではまだ「新興国」なのだ。

 ところで、アトランタ五輪最終予選(セントラル方式のためマレーシアで開催)で思い出されるのが中田英寿だ。当時19歳ながら前園真聖とともに攻撃の中心的存在となっていた。3歳年上の前園を「ゾノ」呼ばわりしていたのは有名だが、その存在感は他を圧倒していた。前園と中田がいれば五輪出場は難しくない。そう思えた。

 ところが、五輪出場はそう甘くはなかった。なにしろグループリーグは中1日という超強行日程。

 荒れたピッチや猛烈なスコールが選手の体力を奪っていった。五輪出場がかかる一戦の相手は出場国中、最強のサウジアラビア。前園が2点を奪ったものの、試合内容は防戦一方。1点返されてからは、同点に追いつくのも時間の問題と思われた。

 それでも、最後は前園が足をもつれさせながら体を張った守備をした。全員で守って勝ち切った。大きな壁を打ち破った瞬間だった。

 選手やスタッフがあんなに泣いているのを初めて見た。それから1年半後、同じマレーシアの地で日本はW杯出場を決めるのだが、涙は見られなった。日本サッカー界が長いトンネルを抜けた——それを表すような光景で、「感動的」という点では、これほど心を揺さぶられたことはなかった。広報担当が号泣しているのを見て、もらい泣きしそうになったほどだ。

 そんな中、表情ひとつ変えなかったのが中田だった。途中交代をさせられたこともあり、ぶぜんとしているようにも見えた。

 喜びで顔をくしゃくしゃにしている選手たちと、能面のような顔の中田。鮮やかなコントラストが20年たった今も脳裏に刻まれている。それにしてもあの状況で歓喜しない19歳って…。「五輪出場は目標ではない」と言っていたが、やはり中田は常人の想像を超えた存在だった。

(編集顧問・原口典彰)