サッカー日本代表の取材をしていると、記者とはいえナショナリズムが出てくるもの。純粋に勝ってほしいと思いながら取材を続ける半面、公平な目を失ってはいけないので選手や監督にはフラットな姿勢をとるように心がけている。特に試合前は、特定の選手に肩入れしてしまうと批判記事が書けなくなってしまうからだ。

 それでも、過去にたった一度だけ、選手に対して不意に「頑張って」と声をかけてしまったことがある。

 2009年11月の南アフリカ遠征のこと。翌年に控える南アW杯に向けた移動や現地生活などのシミュレーションという位置づけだったが、南アとの親善試合はメンバー入り当落線上の選手にとってはシミュレーションなどと悠長なことは言っていられない。まずは試合に出て結果を出さなければ、翌年この地に戻ってくることはできないのだから。

 試合は0—0のスコアレスドロー。正直、内容に乏しく、誰もが効果的なアピールができたわけではなかった。だが、この試合、5人まで交代が許されていたにもかかわらず、出場がかなわなかった選手とすれば焦りがないと言ったらウソになる。

 試合後、不出場だった一人のFW佐藤寿人が練習用のビブスやコーン、ボールなどを汗だくになって運んでいた。「僕は出てないですからね。これもサブ組の仕事ですよ」と笑いながら話していたが、内心は穏やかではなかっただろう。それでも代表の一員として、雑用もこなす姿を見て、こちらとしても何も感じないわけがなかった。

 その場には私と他社の記者がもう一人いたのだが、2人が口をそろえて「大丈夫、必ずチャンスは来るはずだから。次だよ、次。頑張って」と言っていた。

 それを聞いた寿人は、何ともいえないような表情で移動のバスに乗り込んでいった。私はもう一人の記者と「ちょっとサポーターのノリになっちゃったな…」と少々反省モード。そのまま、次の遠征地の香港に向かった。

 香港とのアジア杯予選。その試合でも寿人はベンチスタートだったが、1—0で迎えた後半15分から出場すると、同29分にゴールを決めた。それまで停滞していた攻撃陣に火をつけ、終わってみれば4—0の完勝。相手が格下だったとはいえ、寿人のゴールが起爆剤になったのは確かだった。

 試合後、取材エリアで私の姿を見つけてくれた寿人は笑顔だった。「いいゴールでしたね」と話しかけると「ありがとうございます。実は…」と言って、寿人は意外な言葉を口にした。

「実は、南アで『頑張って』と言われたのがすごく頭に残っていて…。僕、代表であんなこと記者の方から言われたのが初めてで、なんて答えを返したらいいか分からなくて。でも、素直にうれしかったですし、次のチャンスで頑張ろうと純粋に思えたんです。だから、今日、こうやって結果を出せたのはこの前の南アのことがあったからだと。記者の方にもありがとうございますと言いたいです」

 もともとが好青年。取材対応も丁寧で、彼を悪く言う記者は見たことがないが、こういう返しをされたのも私にとっては初めてのことだっただけに、うれしいというか恥ずかしいというか…。残念ながら南アW杯出場メンバーには選出されなかったが、その後は広島のエースとしてJリーグで連覇を果たし、MVPにも輝いた。謙虚な姿勢とサッカーへの純粋な思いを持つ寿人には当然、むしろ遅すぎるくらいの勲章だった。

 そんな寿人は8月29日の名古屋戦でゴールを決め、Jリーグ通算得点記録156得点とした。歴代最多記録を持つ中山雅史氏の記録まであと1点。今季中の達成は間違いないだろう。新記録樹立のあかつきには、香港でのエピソードとともに最大級の賛辞を贈りたいと思う。

(運動部デスク・瀬谷宏)