MF安藤梢が危険を冒してなでしこに伝えた「勝利への執着心」

2015年06月15日 12時00分

 現在行われているサッカーのカナダ女子W杯で連覇を目指すなでしこジャパンだが、スイス戦の勝利と引き換えに、貴重な選手を失った。32歳のMF安藤梢。左足首の骨折で今大会中の復帰が絶望となったことで、チームから離脱した。

 栃木県出身の私にとって、同郷の安藤はなでしこの中でも特に思い入れがある選手だ。1999年6月、サッカー協会から出された1枚のニュースリリースに目を疑った。当時はまだ「なでしこジャパン」の愛称もなく、注目度も低かった女子日本代表のメンバー表に記された安藤の名前。多くの記者は「16歳の高校2年生が初代表入り」という部分をクローズアップしていたが、私は「宇都宮女子高」という所属に一人驚いていた。

 同校は東大合格者も出すような県下一の公立女子進学校。恥ずかしながら、女子サッカー部があることも知らなかったし、そんな逸材がいることも知らなかった。どんな選手なのか知るため、紙面に反映されないのはわかっていながらも、仕事が休みの時に代表合宿を見に行ったこともあった。プレーもさることながら、かなりの美少女。栃木県から出たスター候補生を注目しないわけにはいかなくなった。

 安藤はその後、筑波大に進学。卒業後は大学院にまで進んだ。サッカーのほうでも、さいたまレイナス(現浦和レディース)では2004年にリーグMVPに輝くなど順風満帆。そのころ、なでしこジャパンの担当になった私は安藤と対面を果たし、「宇都宮駅の周辺、ずいぶん変わりましたね〜」などとよく栃木ネタで盛り上がっていた。

 非常にクレバーな選手で、取材もスムーズだった。こちらの意図をくみ取り、的確なコメントをくれるので重宝した。だが一つだけ、困難を極めた取材があった。安藤が筑波大大学院でどんな勉強、研究をしているのかを尋ねた時のこと。私がまったく理解できず、何かに例えようとしてもピント外れ。お互い、しばらく無言の後、「この話、終わりにしましょうか」と切り上げたのは、記者失格ともいえる苦い思い出だ。

 頭脳明晰、運動神経抜群だが、少しのんびり屋。そんな安藤が2009年、大学院を休学してまでドイツに移籍するという話を聞いた時には驚いた。どちらかというと平和主義者が多く、人との競争を好まない栃木県人の気質を安藤からも感じていたので「もっとサッカーがうまくなりたい」という上昇志向の塊のような発言は、私が勝手に描いていた“安藤像”を破壊してくれた。

 どんなに苦しくてもあきらめず、なでしこのポジション争いで脱落しかけても這い上がった。30代で50メートル走の自己ベストを更新するなど、肉体は進化し続けている。運動神経に優れた選手ということで危機察知能力が高いからか、大きなケガをすることもなかった。技術やスピードである程度対応できてしまう能力の持ち主。意地悪な言い方をすれば、体を張る泥臭いプレーをしなくてもやっていける選手で、それが安藤のサッカー人生を支えてきた。

 だから、スイス戦のあのプレーには驚かされた。相手GKが飛び出してくるのがわかっていながら、右足を懸命に伸ばしてボールに食らいついた。安藤を良く知るなでしこOGの方々に聞いても「あのシーン、いつもの安藤ならケガをしないように頭から飛び込んでいたはず」と口を揃える。穏やかな栃木県人の安藤の姿はそこにはなく、あったのは苦境のなでしこジャパンを救うための泥臭さと勝負に対する執着心だった。

 今大会に臨む前、安藤は「澤さんじゃないけど、私も後輩たちに自分の背中を見せてチームを引っ張っていきたい」と話していた。そして私の前では控えめに「ゴールを取って栃木のみなさんにまたいい報告がしたい」とも付け加えた。

 そんな彼女の4度目のW杯はたった26分間で終わってしまった。だが、彼女の思いは確実にチームメートに伝わった。今後、治療と厳しいリハビリが待っているだろうが、背番号7は「栃木県魂」を胸に、必ずまたなでしこのピッチに戻ってくると信じている。

(運動部デスク・瀬谷宏)