捜査の手はブラッター会長にまで及ぶという。FIFA(国際サッカー連盟)の汚職問題がのっぴきならない状況になっている。今回のスキャンダルでは「ようやく」という思いと同時に「なぜ今になって」という思いがある。

 なにしろ五輪を上回る世界最大規模の大会を、わずか20人そこそこの人間の投票で決めていたのだから、そこに巨額の利権が絡まないハズがない。それはFIFAがあからさまに金儲けに走り始め、テレビ放映権料を数千億円単位にまで高騰させた2002年W杯ごろから顕著になってきたのだと思う。02年W杯は日本と韓国が招致を争って、共同開催となった大会である。

 この02年の日韓W杯はいろいろな意味で後味の悪い大会となったが、今にして思えば、日本の招致活動はあまりにバカ正直で、稚拙だったというしかない。当時、日本のW杯招致活動を取材していたが、今でも印象に残っているのはサッカー協会幹部を中心とした日本の招致委員会の口グセだった。

 たとえば、それは招致のライバル国の韓国を相手にして「スポーツマンシップ」とか「正々堂々」。さらには「スポーツの世界に政治を持ち込んではならない」とまで言っていた。日韓共催の噂が流れ、それについて聞いても「FIFAの規約に単独開催と書いてある。共同開催なんてあり得ない」と言い切っていた。しかし、政治の世界以上に金と利権にまみれたFIFA相手に、クリーンな精神を前面にして活動していたのは、今にして思えばお笑いぐさだったとしか言うしかない。まさに竹やりで戦車に立ち向かっていたようなものだろう。

 1996年5月31日、最終的に日本はFIFAの政治決着の前に「日韓W杯」という共同開催をのまざるを得なくなっていたのはご承知の通り。当時事務局長をしていたブラッター氏が98年に会長に就任して以来テレビの放映権料は、高騰し続け、その総額2500億円とも言われている。日本の放映権料で言えば、17年前のフランス大会の80倍だ。たとえブラッター会長が辞任したとしても、FIFAが一度手にした巨額の利権を手放すはずがない。賄賂や汚職は減っても、顔ぶれが変わっても「スポーツマフィア」というFIFAの本質はそう簡単には変わらないだろう。

 日本は2026年W杯開催に名乗りを上げているというが、やはりクリーン&スポーツマンシップを貫くのか。それとも「大人の行動」に出るのだろうか。

(編集顧問・原口典彰)