面白ければ何を書いても、どんな取材をしてもいいじゃないか——恥ずかしながら記者として駆け出しのころはこんな気持ちで仕事をしていた。だが、そんな考え方をしていた私は相撲担当をしていた時にガツンとやられた。

 1998年名古屋場所は優勝争いもさることながら、中盤以降2人の平幕力士に注目が集まっていた。東前頭3枚目の五城楼(現濱風親方)と同4枚目の栃乃和歌(現春日野親方)。初日からともに白星がなく、10連敗同士で11日目の対戦が組まれた。

 この場所の直前、千葉ロッテが日本のプロ野球ワースト記録となる18連敗(6月13日〜7月8日、途中1引き分けを含む)を喫し「連敗記録」というキーワードが世間をにぎわせていた。そんな中で角界でも大型連敗を喫している力士が2人もいる——私は安易にその流れに乗っかった。

 運命の11日目。その日は2人の取組前から各方面の取材に走った。関係者、親方衆、さらには他の幕内力士から多くの話を集めた。そして、いよいよ取組。立ち合いで勝った栃乃和歌が土俵際まで押し込むと、五城楼が足を滑らせてバッタリ。五城楼の連敗が「11」に伸びる結果となった。

 ちょうどその時、支度部屋で寺尾(現錣山親方)がテレビで取組を見ていたので感想を聞きに行った。だが、寺尾は私を諭すようにこう言った。

「なあ、誰だって負けたくて相撲取ってないんだよ。連敗、連敗って面白がるのは、一生懸命やっている力士に失礼じゃないか。確かに五城楼関も栃乃和歌関も調子が悪いかもしれない。でも2人とも一生懸命稽古して、その結果、たまたま負け続けているだけ。オレはそういう記事を書くことに賛成できないから、コメントはしないよ。東スポはそういう面白がり方をしちゃダメだと思う」

 頭の中が真っ白になったと同時に、取材対象者の気持ちなんて考えずにいた自分が恥ずかしくなった。支度部屋で、勝った栃乃和歌は「向こうが滑った瞬間に『こけろ』と思ったよ」と笑い、五城楼は「このまま最後まで勝てないのかな〜」と努めて明るく振る舞っていた。が、その日は連敗記録が伸びた五城楼の話を取り上げ「角界のロッテだ」という原稿を作ったのだが、翌日の紙面を見ても寺尾の言葉が頭から離れず、スッキリしなかった。

 翌日、取組が終わった寺尾のもとに向かった。「昨日はすみませんでした」とうつむいていた私に対し、寺尾は「しょうがない。でも、これからはもっと楽しい記事を頼むよ」。結局、五城楼は12日目に初日を出し、15戦全敗という不名誉記録は避けられた。終わってみれば、栃乃和歌とともに3勝12敗。3つの白星を重ねることがどれだけ大変か、改めて感じる場所だった。

 記者としてというより、人として当たり前のことを寺尾は教えてくれた。今も土俵下で審判を務める寺尾、いや錣山親方の姿を大相撲中継で見ると、身の引き締まる思いがする。

(運動部デスク・瀬谷宏)