志村けんが18年前に自ら明かした「マスコミ嫌い」の理由

2015年02月19日 12時00分

たけし審査委員長から表彰された志村(1997年)

 毎年この時期に開催されるのが、本紙ビートたけし客員編集長が審査委員長を務める「東スポ映画大賞」の授賞式だ。24回目となる今年も豪華受賞者が集結するはずだ。その受賞者にかつて、志村けん(2月20日に65歳)が一度だけ名を連ねたことがある。

 たけしが「コントを追究し続ける男」と評価し、特別賞に選んだ第6回(1997年)だ。その際のインタビューを担当し、たけし・志村の対談に立ち会った。いまや2人とも大御所だが、当時、志村は47歳、たけしは50歳。写真を見ると、2人とも現役感がほとばしっていたのが分かる。

 志村は今でこそ「天才!志村どうぶつ園」(日本テレビ系)などの冠番組をはじめ、バラエティー番組のゲストなどに素顔のまま出演しているが、当時はカツラやメークなしの素顔でテレビに出ることも、ゲスト出演もほとんどしていなかった。「大の取材嫌い」でも有名だった。

 素顔の志村を前に「取材を受けていただけなければ(社の一大イベントなので)クビになるところでした」とあいさつしようとしたものの、緊張しすぎてカミカミになったのを覚えている。

「それはクビになんなくてよかったですね」。気遣ってくれたが、こちらはなんとサラリーマン的な発想だったのかと、今でも恥ずかしくなる。

 志村がザ・ドリフターズに弟子入りした時の月給は手取り4500円。「付き人の時は、メンバー5人がラーメンを食べに行って、その残りのスープを一つの丼にまとめて、そこにご飯を入れて食べてた。それが3年続いた」と聞いた。正式メンバーになったのが1974年だから、当時で24年のキャリア、演じるキャラクターは200人を超えていた。「バカ殿」は1977年の「8時だョ!全員集合」(TBS系)で始まり、今も続いている。

 取材、マスコミ嫌いの理由も分かった。

「仕事前の30分くらいで軽く取材するとかが好きじゃない。きちんと時間を取ってもらえれば話すけど、合間にチャチャッとやっても分からないですからね。それに素顔は見せたくない。どうせ苦労話になっちゃうし『ああ、大変なんだな』と言われるのは嫌ですしね」

 喜劇人は笑われてナンボと言葉にはしないが、体一つでやってきた矜持(きょうじ)を感じた。コントの時は必ず、カツラやメークを施すのは、究極の照れ屋だからだった。

「メークしていない時はすごい緊張しますよ。だからあまりトーク番組は出ないんだよね。一生懸命やればできるとは思うけど、自分でもおもしろくないと思う」

 当時のテレビのお笑い番組について語った言葉は今にも通じている。

「しっかりしたコントを育てる番組があればと思う。最近つまらないのは、放送翌日、見た人が話題にすらしない番組が多すぎること。ゲームやクイズをやって、数字(視聴率)が良ければいいというものでもない。翌日、思い出してクスッと笑ってもらえるようなものがいいね」

 たけしも「本当のお笑いの人はいなくなった。やってるのはクイズ番組のパネラーばかり」と嘆き、志村が「ファンの対象が中高生だけになってしまっている」と危機感を語り合ったのも興味深かった。

 授賞式に来られなかった志村は、受賞の喜びを実母との会話で語った。

「コントが分かっているたけしさんが選んでくれたのは非常にうれしい。おふくろが『お前、何か賞もらったんだって?』と電話してきて『たけしさんがくれたんだよ』と言うと『よかったね。それだけ言おうと思って』って。『でも東スポって、オレが死んだって最初にでっかく書いた新聞なんだよ』と教えといた」

 今年も2月22日の授賞式で新しいドラマが起きる。

(文化部副部長・延 一臣)