日本サッカー界から愛され、いじられたアレックス

2015年02月09日 12時00分

 また一人、日本サッカーを愛し、日本サッカー界から愛された男がJリーグの舞台から去った。日本代表としても活躍した三都主アレサンドロが1月13日、母国・ブラジルに帰った。昨季まで所属していたJ2岐阜を退団。両親に自分のプレーを見せたいということで、Jリーグでのプレーを断念することになった。

 1994年、明徳義塾高に留学のため来日してから、日本で21年間を過ごした。J1清水でプロデビューし、99年にMVPを獲得。01年に日本国籍を取得して、日本代表としてW杯も02年日韓大会、06年ドイツ大会に出場した。代表では82試合に出場し、7得点。清水、浦和、ザルツブルク、名古屋、栃木、岐阜と渡り歩き、すべてのクラブでサポーターを満足させる活躍を見せた。

 こうした記録を並べただけでもアレックス(帰化後も本人がこう呼んでほしいと言っていた)のすごさがわかるが、アレックスを語る上で外せないのが彼の人間性だ。

 人間性、とカッコよく言ったものの、実際は希代の「いじられキャラ」だった。浦和に移籍してきてからその傾向は顕著になった。全体練習後に他の選手からボールをぶつけられたり、アップシューズに砂をパンパンに詰められたり…とその中身は小学生レベル。いつしか、それが日本代表でもおなじみの光景となった。練習でミスすれば、他の選手に「何やってんだよ〜」と大げさにバカにされ、試合でゴールを決めても必要以上にポカポカと頭を叩かれる…外から見ていて何だかかわいそうな感じもあったが、代表チームのムードメーカーとして欠かせない存在だった。

 だが、アレックスはこうした扱いを受けても楽しそうだった。それは周りの選手もアレックスをいじりながらも、プレー面では一目置いていたから。正確な左足のキック、パワフルでリズミカルなドリブルは代表チームでも群を抜いていた。だから、他の選手たちのいじりには愛があった。

 そんなアレックスにとって悔やまれるのが、英国プレミアリーグ移籍の破談だ。私は日韓W杯直後の02年8月、チャールトンへの移籍に向けてロンドン入りしていたアレックスのもとに取材に行った。代理人の西真田佳典氏は腕利きで知られ、あっという間にチャールトン側との交渉をまとめた。あとは労働許可証の発行を待つだけ。95%移籍成立という話を聞き、私も日本人選手史上最高額(当時)の移籍金4億5000万円で「移籍決定」という記事を書いて、同時期オランダで活躍していた小野伸二の取材のため英国を離れた。

 だが、オランダで聞かされたニュースは「移籍不成立」だった。当時、代表チームで公式戦の75%以上の出場がなければ労働許可証が発行されないというルールがあったのは知っていた。アレックスの公式戦出場は50%。だが、西真田氏の確信的な発言とアレックスの晴れやかな表情に、私も「残り5%」の不安をあえてクローズアップしなかった。詰めが甘かった自分の取材姿勢を反省しつつ、無念のアレックスを心配した。

 清水時代のアレックスとは面識がなく、ロンドン市内のホテルで「初めまして」とあいさつした時から始まった不思議な縁。それは2003年、私が担当だった浦和にアレックスが移籍してきたことで、さらに深まった。「ここでまた会うとはね」というアレックスにチャールトンの話を振ると、明るい表情で話してくれた。

「だって、ルールでダメっていうんだからオレは『わかりました』っていうしかないよ。でも、Jリーグとプレミアリーグ、どっちにいるほうがお父さんとお母さんは見やすかったのかな…」

 悔しさを笑顔に隠したアレックスはどこにいても両親のことは忘れなかった。今回、ようやく念願の“親孝行”がかなう。両親の前で存分に自分の雄姿を見せたら、いつの日か日本に戻ってきて日本サッカーを助けてほしい。

(運動部デスク・瀬谷 宏)