その事件は王ダイエー2年目、1996年5月9日に日生球場で起こった。前年5位からの巻き返しを期待されながら、4月24日のロッテ戦から始まった6連敗で最下位に転落。ダイエーは5月に入っても浮上のきっかけをつかめずにいた。

 舞台となった日生球場に乗り込んだのは、本拠地・福岡ドームでのロッテ戦で2連敗した直後のこと。同7日の初戦の時点で球場は不穏な空気に包まれていた。試合も近鉄に4—10の大敗。選手たちを乗せたチームのバスが球場を出る際、ふがいない試合に腹を立てたファンに包囲されるという事態となった。

 王貞治監督は過激な一部ファンからのバッシングも真摯に受け止めていた。翌8日は雨天中止となったが、藤井寺球場での練習時に番記者たちから前夜の騒動について問われると「ああいう声に応えていかなきゃいけない」と野太い声で話し、最下位からの巻き返しに意欲を見せていた。

 風向きが変わったのは翌朝のことだ。日生球場へ向かう電車の中で某スポーツ紙を広げると、驚愕の内容の記事が掲載されていた。7日の「バス包囲騒動」を重く見た近鉄球団は試合が中止となった8日に再発防止策を検討。警備員の増員やバスの出発時間を遅らせるなどの案とともに、バスの出発を通常の左翼横からバックスクリーン裏に変更することが決まったのだが、その全容が見取り図付きで報じられたのだ。ここではなく、こちらから出ます…という具合に。

 近鉄球団は大激怒していたようだが、かといって代替案はない。しかも2—3の接戦ながら、ダイエーは9日も負けて4連敗。選手や監督、コーチは前日までに決定したプランどおり、試合終了から30分後にロッカールームを出た。そして、グラウンドの真ん中を抜けてバックスクリーン方向へと向かうと、新たな脱出ルートを事前に知っていた過激なファンが生卵を手に待っていた。

 王監督は「勝っていれば拍手で迎えてくれたはず」と言い、生卵ばかりでなく聞くに堪えない罵声を浴びせたファンを非難するようなことはしなかった。ただ、よくよく考えると日生球場でパックに入った生卵は売られていなかったし、そもそも事前に新ルートが報じられていなければバスに生卵が飛んでくることもなかったはず。現場で取材していた人間から言わせると、実に多くの人の悪意が絡んでいた事件だった。

(運動部デスク・礒崎圭介)