自動車評論家の徳大寺有恒さんが、11月7日に亡くなられた。空前のベストセラー「間違いだらけのクルマ選び」シリーズをはじめとして著書も数多く、まさに日本を代表する“巨匠”と呼べる存在だった。

 記者が徳大寺さんにお会いした(というよりも、お見かけした)ことは数十回、いや、100回以上あるのではないかと思う。

 記者は長年、スポーツ紙の自動車記者クラブに所属していた関係で、新車発表会、試乗会、モーターショーなどのイベントに足を運ぶと、必ずといっていいほど、そこに徳大寺さんもおられたのだ。

 新聞や雑誌の記者や評論家がひしめいている会場で、遠くからでもひと目で分かるのが徳大寺さんだった。英国ダンディー風のスーツをバッチリと着こなし、ときには優雅に葉巻をふかしていることも。独特なオーラをまとっていたというか、何か徳大寺さんの周囲だけは空気が違っていたような印象だった。

 実はひとつ、徳大寺さんに関していまだに忘れられない思い出がある。それは、取材の場ではなく、偶然に銀座で徳大寺さんを“目撃”したときのことだ。

 記者が銀座を歩いていると、数寄屋橋の交差点に徳大寺さんが立っていた。相変わらずのオーラで、人混みの中でも「あっ、徳大寺さんだ」と気づいたのだが、そのときに徳大寺さんは意外な行動をとったのだ。サッと片手を挙げて通りかかったタクシーを呼び止め、素早く乗り込んで走り去ったのである。

 それのどこが意外なのか、と思われるかもしれない。しかし、それは記者が抱いている徳大寺さんのイメージからは遠かった。元レーシングドライバーであり、常に何台もの高級車を所有し、仕事でもありとあらゆる自動車のハンドルを握った徳大寺さんが、タクシーに乗って見知らぬ他人に運転を任せるなどということは、非常に違和感のある場面だったのだ。

 考えてみれば、シェフだって外食するし、プロの歌手が誰かのコンサートを聴きにいくのも当たり前なので、別に徳大寺さんがタクシーに乗ったっておかしくもなんともないだろう。それを意外と感じさせるほど「徳大寺有恒」という存在は特別なものだったのかもしれない。

 直接お話しする機会はほとんどなかったが、記者も一応モータージャーナリストのはしくれとして、自動車というジャンルで仕事をする上で、徳大寺さんの影響は少なからず受けていたような気がする。今も徳大寺さんは天国でハンドルを握り、辛口の評論を続けているのだろうか。ご冥福をお祈りいたします。

(文化部デスク・井上達也)