東京大学のホームページによると、今年度の合格者数は3109人。これに対して、プロ野球の昨秋のドラフト会議で指名された選手はセ・パ12球団で70人。育成ドラフトで指名された選手を含めても、わずか83人だ。

 そんな狭き門を突破してきた選手たちは間違いなく超エリートであり、どこか普通の人と違うところがある。それはレギュラー、スーパースターと“格”が上がるほど顕著で、「ミスタープロ野球」の称号を持つ長嶋茂雄さんや、「世界の王」こと王貞治さんに数多くの伝説が存在することと無関係ではないだろう。

「中でも一番インパクトのあった人って誰ですか?」。知人と酒を飲んでいる時などに、しばしば尋ねられる。そんな時、真っ先に名前を挙げるのが「マサカリ投法」で知られる村田兆治さんだ。最大の武器でもあった、鉈(なた)のような切れ味のフォークボールに対するこだわりには何度となく驚かされた。

 今でも忘れられないのがダイエー(現ソフトバンク)に王政権が誕生した1995年の春季キャンプだ。灼熱のオーストラリア・ゴールドコーストの球場で、選手のアップ中に手持ち無沙汰にしていた投手コーチの村田さんは、王監督に「キャッチボールしましょうよ」と呼びかけた。絵になる男たちによるキャッチボールにカメラマンたちも色めき立ち、自然と人垣ができた。

 その5球目だ。人知れずボールを右手の人さし指と中指で挟んでいた村田さんが投じた1球は、王さんの手前でワンバウンドし、スネを直撃。かなり痛かったのか、指揮官は「兆治とキャッチボールするのはイヤだぜ」と言い残し、その場を去ってしまった。

 2次キャンプが行われた高知でも、村田さんは挟みまくった。当時ルーキーだった藤井将雄(故人)がペッパーの相手を探していると、村田さんは「俺が相手になってやるぞ」と志願。ペッパーとは5、6メートル前後の距離から緩い球を投げ、打者がワンバウンドで打ち返す、リズムを養う練習だが、ここでも村田さんはボールを挟んだ。そして、藤井から空振りを奪うなり「まだまだ甘いな」とドヤ顔だ。

 ある日の練習終了後、高知市役所の方々とダイエーのスタッフで軟式球を使った親善試合をした時も、村田さんは頼まれもしないのに市役所チームで志願の登板。身内のスタッフ相手に140キロ超の直球、フォークを投げ込んでみせた(※ほとんどの球を捕手が捕れなかったため市役所チームが逆転負け)。

 そんな村田さんの知られざるエピソードを、ロッテ時代の女房役である袴田英利さんが本紙野球面で好評連載中の「豪腕列伝」で明かしてくれています。そちらもお楽しみに。

(運動部デスク・礒崎圭介)