サムライの意地

2014年11月24日 12時00分

 8年ぶりに開催された日米野球は、日本の24年ぶりとなる勝ち越しで幕を閉じた。全5試合で3勝2敗。沖縄・那覇で行われた親善試合を含めると4勝2敗でMLB選抜を圧倒した。相手のメンバーが“しょっぱかった”ことも勝因の一つではあるが、タクトを振った小久保裕紀監督にとってはホッとひと安心といったところだろう。

 その小久保監督が現役だったころの取材で忘れられないシーンがある。今年と同じ顔合わせでダイエー(現ソフトバンク)と阪神が覇権を争った2003年の日本シリーズ中のことだ。

 3勝3敗で迎えた第7戦の朝、私は電車を乗り継いで宿泊先のホテルから福岡市東区西戸崎にあるダイエーの合宿所を目指した。同年3月6日の西武とのオープン戦でのクロスプレーで、右ヒザの靭帯断裂などの大ケガを負い、シーズンを棒に振った小久保に会うためだ。

 早めに行ったつもりだったが、すでに練習は始まっていた。誰もいない室内練習場で、小久保はひとり黙々と地味なリハビリメニューをこなしていた。

 練習が終わるのを待って、第3戦から第5戦の間に甲子園球場で取材してきたことを小久保に伝えた。厳密に言うと選手や球団関係者に「書け、書け」とせっつかれていたネタで、内容は当時のフロント幹部による暴言の数々だった。

 試合中のスタンドに陣取った問題の幹部が、自分の接待客を相手に「今年の優勝は小久保がいなかったからできた」「小久保はガミガミと言うタイプだから若手も腐っていた」と毒を吐きまくったのだ。声の届く席に、選手や球団関係者と親しくしている人物が座っていたとも知らずに…。

 話を聞き終えた小久保は「ありがとう。でも、俺のコメントはナシにしておいて」とだけ言ってはにかんだ。そして、この球団幹部の暴言が引き金を引く形で小久保の巨人への無償トレードが発表されたのは、王ダイエーの日本一から1週間後のことだった。

(運動部デスク・礒崎圭介)