かつてJリーグの盟主と呼ばれたヴェルディ川崎(現J2東京V)を担当していた1990年代の話。96年シーズンに低迷したチーム再建の切り札として招聘されたエメルソン・レオン監督は規律重視で選手に厳格な態度で接していた。

 ブラジル代表GKとしてW杯に4度出場。のちにブラジル代表監督も務めた名将。練習はサッカー界では異例の早朝8時に設定されたため、選手たちは準備なども含め午前7時ごろには“出勤”。スタッフはさらに早く6時には、クラブハウス入りしなければならず、「ちょっと早すぎだよね」とレオンの方針には戸惑い気味だった。

 だが、これはチーム内だけの話ではない。就任すると、担当記者にも通達が出され「チーム練習開始の時点で姿を見せていない記者の取材に応じないから」。レオン監督は通常、練習開始30分前に到着し、グラウンドに登場する。この時点で姿を見せていない記者はアウトとなる。

 当然、担当記者も遅刻厳禁。まだ駆け出しだった記者も毎日早朝からクラブハウスに詰め、取材に取り組んだ。だが、ある日の練習終わりのこと。レオン監督に質問しようとすると「ノー。お前は、今朝いなかったからな。質問には答えない」とぶぜんとした表情を見せた。

 いつもように早起きして、クラブハウスまで出向いていた。自分の存在感のなさに失望したものの、貴重な取材機会を逃せばデスクの逆鱗に触れかねない。すぐに「遅刻してませんよ。キチンといました」と反論。だが指揮官は腕組みしたまま「以前から言っているはずだ」となかなか受け付けてくれなかった。

 少し険悪なムードも漂うなか、異変を察知した広報担当者が「東スポは朝からいましたよ」と助け舟。レオン監督は少し首をひねりながらも取材に応じてくれた。

 現場の最高責任者となる監督次第で、チーム方針も大きく変わるものだが、レオン監督は選手だけでなく、記者にも厳しい指導者だった。

(運動部デスク・三浦憲太郎)