かつてJリーグの盟主と呼ばれたヴェルディ川崎(現J2東京V)を担当していた1990年代の話。まだ新人だった記者は、日本代表でもキャプテンを務めていたDF柱谷哲二(現J2水戸監督)の取材中、突然キレられたことがあった。

 いつものように、試合に向けた抱負などを聞いていたが、なぜか表情がさえず、顔色も良くない。「ひょっとして体調が悪いんですか?」と質問すると、顔を真っ赤にして「そんなことない! なんでそういうことを聞くんだ? なんでもない!」と怒鳴り始めた。

 なにか怒られるようなことを聞いたのか? 突然のことで戸惑う記者に柱谷はじりじりと距離を詰めてきた。普段からこわもてだが、怒ったときはまさに鬼の形相。恐怖を感じ殴られるかもと思ったが、柱谷はそのまま取材を打ち切り、帰路に就いた。

 その後、しばらくは柱谷との“冷戦”が続いたが、あるとき取材に応じてくれると、激怒した際の真相を打ち明けてくれた。当時の柱谷の話を要約すると、ちょうどコンディションが良くないなか、大事な試合が近づいていたため「俺は何ともないんだ」と自ら思い込んでいたという。

 そんなときに、記者から指摘され「忘れていたものを思い出した」ため怒ったのだという。柱谷は「病は気からと言うけど、痛いと思うから痛いし、痛くないと思えば痛くない。自分自身がなんともないと思っていればなんでもない。(不調を)意識するから、悪くなる」と持論を展開した。

 プロ選手としての考え方は選手個々で違う。それを改めて思い知らされた。その後も、時には怒らせることもあったが、取材にはキチンと対応してくれた。当時、自分にもチームメートにも厳しく「闘将」と呼ばれた柱谷が意外な“秘密”を話してくれたことは、記者として、少しうれしかった。

(運動部デスク・三浦憲太郎)