かつて「Jリーグの盟主」と呼ばれたヴェルディ川崎(現J2東京V)を担当していた1990年代半ばの話。背番号10を背負う司令塔の日本代表MFラモス瑠偉(57=現J2岐阜監督)が突然FWにポジション転向されたのは、意外な裏事情があった。

 94年のJリーグ第2ステージ(当時は前後期制)終盤。ラモスは「伝家の宝刀」と言われたスルーパスを繰り出し、アシストを量産していたが、37歳となり、運動量が低下。負傷も抱えていたため、少しでも肉体の負担が少ないFWで起用し、高い技術力を発揮してもらいたい——。それが松木安太郎監督(当時)の狙いだった。

 ただ取材を続けると、実は意外な理由が浮上した。当時のコーチングスタッフは「実は…ラモスには、敵DFが本気で当たってこないんだ。なんで? 怖いからでしょ。何を言われるかわからないから。だからラモスをFWにして、前線でボールキープできれば、次の攻撃が展開できるんだ」と明かしてくれた。

 ラモスは当時から過激な言動がウリ。敵味方はもちろんピッチ内外も関係なく、言いたい放題だった。ボールを奪おうと、背後から厳しく当たれば「冗談じゃないよ!」と怒鳴られかねない。選手心理を狙ったコンバートだったわけだ。同コーチは「ラモスはカリスマだから、背中からオーラが出ていて、相手もビビるんだ。そういうところまで計算して、考えてやってるんだよ」。

 そんなラモスのFW起用はズバリ的中。V川崎は第2ステージを制覇し、第1ステージで優勝した広島とのチャンピオンシップに進んだ。ここでもFW起用されたラモスは「Jリーグ史上最高のゴール」と言われるループシュートを決め、チームをJリーグ2連覇に導いた。

(運動部デスク・三浦憲太郎)