3代目・若乃花以来となる久々の日本出身横綱とあって期待を一身に背負ったが、横綱昇進直後の2017年大阪場所13日目に左大胸筋部分断裂。千秋楽に強行出場し優勝を勝ち取ったものの8場所連続で休場するほどその代償は大きかった。

 引退会見で「一片の悔いもありません」と語った稀勢の里の姿に11年11月に急逝した師匠の故鳴戸親方(元横綱・隆の里=享年59)が重なった。糖尿病に悩まされながら30歳を過ぎた1983年名古屋場所で優勝し、悲願の横綱に昇進。青森出身の苦労人は当時のNHK朝ドラと重ねて「おしん横綱」と呼ばれた。

 だが横綱昇進後はケガに悩まされ在位14場所中6場所で休場(全休2場所)。86年初場所で初日から2連敗し引退となった。くしくも師弟横綱は同じような幕の引き方となった。

 生前、千葉・松戸にあった鳴戸部屋で親方はまわし姿で稀勢の里や兄弟子・若の里、隆の若らを熱心に指導。一見、近寄りがたい雰囲気もあったが話し好きな一面もあり、大好きだった剣豪・宮本武蔵や米沢藩の財政を立て直した上杉鷹山の話を始めれば、軽く1時間が過ぎた。そんな親方も若いころの猛稽古の影響もあったのか、あまりにも早すぎる別れとなった。

 当時、関脇だった稀勢の里にとって中2で部屋見学した際、「大関横綱になれる」とスカウトされた師匠の死の衝撃は想像以上だっただろう。それでも直後の九州場所で大関昇進を果たし、師匠にささげた。

 大横綱にはなれなかったが、稀勢の里の大関時代の成績は他の歴代大関と比べて一切、遜色はない。荒磯部屋を起こす稀勢の里には師匠のように厳しくも愛情のある稽古で数多くの弟子を育ててもらいたい。

(運動部主任・坂庭健二)