今年も残すところあとわずか。2018年は中京スポーツ(東京スポーツの中部版)の創刊50周年ということで、いろいろな記念イベントを行ってきた。特にご協力をいただいたのが、プロ野球・中日ドラゴンズとアイドルグループ「SKE48」の皆さんだ。

 SKE48の須田亜香里さん、松村香織さん、小畑優奈さんの3人には「中京スポーツ創刊50周年記念アンバサダー」への就任をお願いし、様々な広報活動を行っていただいた。2月に行われた就任記者会見の模様は朝のワイド番組「ドデスカ!」(メ〜テレ)で放送され、中日スポーツやまんたんウェブなどでも報じられた。

 また3月1日の創刊記念日には中日ドラゴンズの森繁和監督、松坂大輔投手、小笠原慎之介投手、SKE48の松井珠理奈さん、大場美奈さん、古畑奈和さんらから祝福のメッセージを頂戴した。プロ野球の開幕直前には中京スポーツ50周年記念企画として森監督とSKE48の小畑さん、熊崎晴香さん、竹内彩姫さんによるスペシャル対談を本紙に掲載。またアンバサダーの3人と珠理奈さんには、5月に中京競馬場で行われた「中京スポーツ創刊50周年記念 中京競馬場バックヤードマラソン」のPR動画にもご出演いただいた。

 手前みそになるが、名古屋を代表するプロ野球選手やアイドルの皆さんにご協力をいただいたことで、50周年は過去のどの周年よりも盛り上がりを見せたと思う。この場をお借りして改めて中日ドラゴンズとSKE48の皆さま、そしていつもご愛読いただいている読者の皆さまに感謝と御礼申し上げます。

 だが、周年イベント企画の中でたったひとつだけ心残りなことがある。それは元中日ドラゴンズ監督の星野仙一さんにお願いしていた特別インタビューが実現しなかったことだ。

「50周年? よく50年も続いたな。お前のところにはいいこと、悪いこと、本当にいろいろと書いてもらったからな。ワハハハ。まあ2月に電話してくれ」。昨年11月、50周年企画の特別インタビューをお願いすると星野さんは、二つ返事で引き受けてくれた。

 中京スポーツ50年の歴史の中でも星野さんはやはり特別な人である。燃える男、熱血指揮官、、闘将、鉄拳制裁…。昭和の時代も平成も様々な見出しが中京スポーツ紙上で躍ってきた。名古屋発のニュースで最も多く東スポの一面を飾ったのは、星野さんか落合博満元中日ドラゴンズ監督のどちらかであろう。

 インタビューでは星野さんに5年連続でBクラスに沈んでいた古巣のドラゴンズに対して、厳しくも愛のあるゲキを飛ばしてもらう予定だった。

「監督から見て今の中日をどう思うのか、忌憚なく語ってください」

「中日か…。ワシと長嶋さんがやっていたころとは時代も変わってるしなあ。まあ考えとくわ」

 しかし、残念なことにこれが星野さんと自分との最後の会話になってしまった。

 今年1月に星野さんはすい臓がんのため死去。まだ70歳だった。「もうあんなにすごい人は現れないだろうな」。記者仲間や中日OBの間で星野さんの話題が出ると、必ず誰かの口からこんな言葉が出てくる。厳しくて怖くて、とてつもない情熱を持っていて、そして周りの誰からも愛されていた人であった。

 今でもたまに思うことがある。星野さんのインタビューが実現していたらどんなことを話してくれていたんだろう——。

(中京編集部長・宮本泰春)