ヤンキース田中の「使命」

2018年03月19日 12時00分

 東日本大震災から7年となった3月11日、ヤンキース田中将大投手(29)が自身の公式サイトなどで以下のコメントを寄せた。

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 東日本大震災で被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
 震災から7年、これまでの月日の感じ方は、もちろんそれぞれ違うと思います。
 先日、仙台の小学校に訪問させて頂きましたが、震災を経験していない子供たちも増えてきたんだな、と実感しました。そんな現実に、改めて震災を風化させてはいけないという思いが募ります。
 僕自身も、出来ることは何なのか、自問自答の繰り返しですが、ひとりの人間として、一野球人として、これからも出来る限りのことを続けていきたいという気持ちでいます。(原文ママ)

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 当時、田中は楽天に所属。被災者の一人として、風化させてはいけないという思いは強い。むしろ「使命」と感じ毎年コメントを寄せている。

 当時の楽天担当として、この日になると必ず思い出す取材がある。震災直後、遠征先にいたチームは大混乱。しかも地元・仙台に帰還する時期がなかなか決まらなかったことで、さまざまな憶測、誤解が飛び交った。心ない声も浴びせられたが、チームの顔だった田中は「軽はずみなことはいえない」と、あらゆる感情を押さえ、極力コメントを控えていた。

 しかし「このままではまずいのでは」と感じた私は、どこかで誤解や臆測を、影響力を持つ田中の言葉で否定できないものか、そうすべきではないかと思い、取材するタイミングをうかがっていた。

 そして…確か、ZOZOマリンスタジアム(当時のQVCマリンフィールド)で行われる、11年シーズン開幕戦の数日前だったと思う。グラウンドでの練習を終えた田中が、ロッカールーム裏の通路に出たタイミングを狙い、パーテーション越しに声をかけた。

 思いを伝えると田中は「わかりました」とひと言。人目のつかない場所でということで、その数時間後、チーム宿舎内の誰もいないフロア。それも部屋ではなく、エレベーター脇のソファで取材させてもらうことになった。

 ジャージー姿で現れた田中は、最初は口が重かったものの、次第に思いがあふれ出た。当時のチーム状況から、支援活動に対するジレンマ、そして一被災者としての思い…。すべてが生々しく、抱えていた苦悩がうかがえた。そして最後にこう語った。

「とにかく、被災地の方々にいいニュースを届けたい。それは自分のためもあるけど、チームのためにもなる。プレッシャーはありません。今まで自分がやっていることに『思い』をプラスするだけですから。しっかり一年間働いて、いいところを見せたいです」

 あとは掲載するタイミングだったが、これを提供してくれたのも他ならぬ田中だった。11年4月15日、甲子園球場で行われた楽天主催のオリックス戦。シーズン初登板の田中は魂の投球で、7奪三振の無四球完投で初勝利。翌日の1面で報じることができた。

 右腕はこの年、キャリアハイとなる19勝5敗、防御率1・27を記録し沢村賞を初受賞。その2年後には24勝無敗という、前人未到の大記録でチームを日本一に導き、東北に歓喜と感動をもらたした。

 あれから7年、海を渡っても田中の思いは変わらない。そして「使命」として、メッセージを送り続ける。

(運動部主任・佐藤 浩一)