日本中に感動を与えた平昌五輪が終了した。冬季五輪は「山」と「氷」で大きく分けられるが、今回は「氷」の活躍のほうが目立った。中でもフィギュアスケート男子の羽生結弦(23=ANA)の演技は圧巻で、大ケガから復活したばかりとは思えない内容。それに続いた銀メダルの宇野昌磨(20=トヨタ自動車)も堂々たる演技だった。女子もメダルにこそ届かなかったが、下馬評を覆す結果を残して、日本フィギュア界の存在感を示すには十分すぎる大会となった。

 16年前の2002年ソルトレークシティー五輪のフィギュアスケートを取材した身としては、隔世の感がある。当時の男子のエースは本田武史。女子は村主章枝がエースで、トリプルアクセルを引っさげて挑んだ恩田美栄も出場したが、お世辞にも金メダルを狙えるというレベルではなく、本田と村主がよくて銅メダルという希望的観測があったくらいで、世間の注目も期待も、今ほどの盛り上がりはなかった。

 当時のスケート連盟としても、何とかメディアに取り上げてもらおうと様々な趣向を凝らした時期でもあった。公開練習だけでなく、女子のメーク教室など取材の場を設け、選手たちの露出を増やそうと躍起だった。強化部長を務めていた城田憲子氏からは常々「どんなことをやったら、皆さんは記事にしてくれるの?」と聞かれ、記者もアイデアを出した。資金難にあえぐ連盟が五輪直前に一般のファンを入れた壮行会を開き、強化費を捻出したのもそうした提案の一つから生まれたものだった。

 とはいえ、選手たちはあっけらかんとしていて、村主は超がつくほどのマイペース。囲み取材では彼女にしか理解できない〝村主ワールド〟が全開で、毎回のように記者同士で「あの話はこういう意味だよね」と確認し合うほど苦労させられた。

 そんな村主がある時、私に日本フィギュア界の将来について話したことがあった。

「今はね、こんな感じでみんなやってますけど、そのうち、こんなにのんびり、のどかにやることができなくなるくらいの時代がきますよ」

 確かに、伊藤みどりを育てた名伯楽の山田満知子コーチは当時から「名古屋にすごい子がいるのよ。取材に来てよ」と、うれしそうにまだ小学生の浅田真央を宣伝しており、女子はさらに盛り上がる予感はあった。だが村主は「女子だけ盛り上がって、男子が盛り上がらないことはないでしょう」と続けた。「そうなったら私なんか過去の人になっちゃう。でも、それでも私は、私のことを一人でも多くの人が覚えてくれているような演技をします」という言葉はどこか酔いしれていたが…。

 その後、真央だけはでなく荒川静香が急成長し、安藤美姫も頭角を現した。男子も織田信成、高橋大輔、町田樹といった実力ある個性派スケーターがファンを集め、羽生は五輪2大会連続金メダルで伝説を作った。フィギュアスケートのメディア露出は格段に増え、それこそ、担当記者たちはのんびり取材している場合ではなくなった。不思議な雰囲気を醸し出していた村主だったが、今のフィギュアスケート人気を見るにつけ、彼女の予言の偉大さを感じずにはいられない。

(運動部デスク・瀬谷宏)