勝ち負けが付きもののスポーツの世界で、自分の担当チームや担当選手が好結果を出そうが、惨敗を喫しようが、その取材対象にはフラットに接してきたつもりだった。勝てば「おめでとう」、負ければ「残念だったね」くらいの言葉はかけるかもしれないが、それ以上は踏み込まない。そうでないと東スポという媒体で記事は書けないと思っていた。

 だが、今季のJリーグで川崎が大逆転で初制覇を飾った時は、素直に喜んでしまった。2009年から4シーズン担当してきたが、周知の通り“シルバーコレクター”と呼ばれるチーム。大事な試合で勝てなくてがっかりする選手を見続けてきた。担当初年度のナビスコ杯(現ルヴァン杯)の決勝で敗れた選手たちは、表彰式では首にかけてもらったばかりのメダルをすぐに外して、関係者を怒らせたこともあった。そんなチームだからこそ「おめでとう」とか「よかったね」という簡単な言葉で片付けられる優勝ではなかった。

 担当2年目の10年10月31日、川崎市麻生区のクラブハウスで、当時からチームの大黒柱だったMF中村憲剛の30歳の誕生日を祝った。他社の担当記者たちと話し合ってケーキを用意。もちろん、事前通知はなく、サプライズで。カズ・三浦知良が毎年、横浜FCで大々的に誕生日イベントをやっているのとは比べものにならないほどささやかなものだったが、憲剛はとても喜んでくれた。

「オレ、今までメディアの人にこんなことやってもらったことなかったから、本当にうれしいよ。ああいうのってサッカーとか野球でもスター選手しかないと思ってたから。みなさん、ありがとう」

 笑顔でこう話した憲剛には「いやいや、あなたも十分スター選手だから」とツッコミが入ったが、すぐに真顔になって話を続けた。

「フロンターレでオレは個人でもチームでもタイトルを取れていないでしょ。だからスターじゃない。スターっていうのは、結果を出す人のこと。だから結果を出さないとね。一回でいいから優勝したい。一回でいいんだ。その時にどんな気持ちになるのかな…」

 そこから6年後の16年12月、憲剛は史上最年長でJリーグのMVPに輝き、個人でビッグタイトルを獲得。そして昨年、ついにチームもタイトルを取った。憲剛が流した涙を見て、誕生日のことを思い出した。彼が見たかった景色は想像以上だったに違いない。ホーム・等々力競技場にいたサポーターは老若男女問わず、憲剛の涙を見て泣いていた。他クラブのサポーターからも「憲剛が報われてよかった」という声を聞いた。あの日、憲剛は本当のスターになった。

 憲剛の夢はかなった。でも「1回でいい」だなんて思っているはずはない。川崎の「背番号14」はすぐに次の目標を見つけてしまう選手だから。

(運動部デスク・瀬谷宏)