本当に頭が下がる思いである。サッカーJ1川崎の大黒柱・MF中村憲剛のことだ。昨シーズン終盤に左ヒザ前十字靭帯を損傷し、手術。39歳にして「サッカー人生で初めての大ケガ」を負ったにもかかわらず、メディアへの露出を決して避けようとしていない。

 復帰までのリハビリの様子を密着取材されるのも大変な苦労だったはずだが、新型コロナウイルス感染拡大の影響でクラブが活動休止になった中でもクラブ主導の絵本の読み聞かせ企画の動画配信などにも積極的に参加。さらにピコ太郎による「PPAP」の手洗いバージョンにも呼応し、ツイッターで自分の子供たちと踊る様子をアップするなど、とても休養中の選手とは思えない活躍ぶりだ。

 社会が停滞している今、中村のような重鎮が先陣を切って活動していることにこそ大きな意味がある。思い出されるのは2011年の東日本大震災の直後。当時も真っ先にホーム等々力競技場の最寄り駅・武蔵小杉の駅前に立って募金の呼びかけを行い、大きな反響を呼んだ。「憲剛さんがやっているんだから、俺も何かやらなきゃ」と思った若手選手も追随したのを今も覚えている。

 とはいえ、当時の中村には使命感こそあれ、自身に影響力があるという意識は薄かった。

「俺が何かしたところで、物事が大きく動くとは思っていないよ。でも、俺がサッカーをできるのはファンやサポーターだけでなく、多くの人のおかげ。ならば、困っている人がいたら恩返しするのが当然でしょ」

 前年の南アフリカW杯にも出場し、押しも押されもせぬ日本のトップ選手になっていた中村。「そうはいっても代表では控えだったから。トップ選手っていうのは、今で言うと(本田)圭佑みたいな選手。あとはカズさん(三浦知良)や俊さん(中村俊輔)みたいに日本のサッカーの歴史を作ってきた人のことを言うんだよ。だから俺みたいな選手がやらなきゃいけないことはいっぱいある」と話していたが、その謙虚さが中村の人間性を物語っている。

「俺は大学でも無名だったし、それこそ年代別の代表にも選ばれていない。フロンターレに入った時もチームは2部。そんな選手をここまで育ててくれた。募金を呼び掛けるのも大事だけど、今度はサッカーで日本の強さを見せたいよね」

 その言葉通り、中村は卓越した技術とリーダーシップを発揮し、川崎をJ1で2連覇する強豪に押し上げた。自身もJリーグ史上最年長MVPにも輝いた(2016年)。今年の10月31日には40歳になる。不惑を迎える「レジェンド」の挑戦はまだまだ終わらない。

(運動部デスク・瀬谷 宏)