2006年以来14年ぶりに西武に復帰した松坂大輔投手(39)の役割の一つが、途切れたままの「エース学の継承」にある。

 松坂の獲得に関しては編成の責任者・渡辺GMが「あくまで現役選手としての獲得。最後の花道というイメージではない」としたように、2年連続チーム防御率最下位(4・35)からの脱却がテーマの一つ。日本球界復帰後の5年でわずか6勝(5敗)の松坂自身が「今の僕が戦力として考えられているというのが、ライオンズ投手陣の現状」と語ったように勝ち頭のニール以外、確定したものがない先発枠の競争強化が現実という側面がある。

 しかし、その“責任”は松坂自身にもあると指摘するチーム関係者もいる。「大輔が(06年に)抜けて涌井、岸、(菊池)雄星とエース級が連鎖するように移籍したことで、本来はエースから後輩に受け継がれるべきエース教育の継承がないまま現状に至っている」という声が複数の関係者から聞かれる。

 確かに19歳のプロデビュー年から16勝を挙げ、新人王と最多勝を同時受賞した松坂はその後、3年連続でパ・リーグ最多勝(計45勝)に輝く。西武在籍8年間で6度の14勝以上、計108勝(60敗)、計72完投(うち18完封)は当時のダブルエース・西口文也をもしのぐ絶対的エースの存在感で、明らかに若手の目指すべき手本だった。

 しかし、26歳の若さで夢であったメジャー移籍を果たしたため、横浜高の直系の後輩で後のエース候補・涌井とのプレー期間もわずか2年。岸とは入れ違いでライオンズの伝統となるような「エースとはかくあるべき」という財産を、後輩投手に継承することは結果的になかった。

 前出関係者は「ライオンズは次々に野手が育つと言われるのは一、二軍の施設が12球団で唯一、同一の敷地内にあってトップ選手の練習を若手が常に見られる環境だから。伊東さん、松井稼頭央、栗山、サンペイ(中村)、秋山、山川の練習量を見て、若手が学べる環境が引き継がれてきた。投手にその連鎖が起こらないのは、大輔のころから始まった断続的なエース級投手の流出と無縁ではない」と推察している。

 12月11日の入団会見で松坂は「自分がいたころは投手力を中心とした守り、機動力のチームだった。今は強力打線のイメージですかね」と今の西武のイメージを語ったが、遅ればせながら今回、その責任を果たす機会が14年ぶりに巡ってきたともいえる。

 もはや全盛期のような投球で後輩に手本は示せなくとも、その多くの経験値と言葉で伸び盛りながら、あと少しの何かが足りない高橋光、今井、松本航に「エース学」を授け、しかるべき方向付けをしてあげることはできるはずだ。

(運動部主任・伊藤順一)