2020年東京五輪が迫ってきた。サッカー男子代表は1968年メキシコ五輪銅メダルを超える金メダルを目標に掲げる中、11月に五輪世代のU―22日本代表にMF堂安律(21=PSVアイントホーフェン)とMF久保建英(18=マジョルカ)が加わり、U―22コロンビア代表と“初陣”を戦った。

 ほかにもDF冨安健洋(21=ボローニャ)、MF三好康児(22=アントワープ)、MF板倉滉(22=フローニンゲン)ら欧州組の奮闘が東京五輪では期待されているが、若くして海外進出を果たし、カタールW杯アジア予選を戦うA代表にも選出されている彼らが自国開催となる本大会に参戦できるかは微妙な情勢だ。

 というのも、クラブ側は五輪に選手を派遣する義務、ルールがないためだ。特に五輪開催にかかわる期間は、欧州各クラブにとってオフやシーズン開幕前の準備期間であり、選手酷使につながる五輪には難色を示している。五輪代表がチームを編成するには「選手を出してください」とクラブ側に協力をお願いしするしかない状況にある。

 実際に、リオデジャネイロ五輪ではFW久保裕也がメンバー入りしたものの、大会開幕直前になって当時所属のヤングボーイズ(スイス)が派遣を拒否し、久保裕は五輪に参加できなくなった。日本サッカー協会の技術委員だった霜田正浩氏(当時=現J2山口監督)も「お願いしたけど、どうしようもない」と頭を抱えていた。

 今回も主力となる堂安や久保が五輪に参戦できるかは、あくまで各所属クラブの判断。いくら森保一監督(51)が招集を望んでもベストメンバーを集められるかは微妙というわけだ。

 リオ五輪後、霜田氏に「今後の対策をどうするのか」と話を聞いたことがある。「選手を呼ぶことが難しい中、FIFA(国際サッカー連盟)のルールが改正されなければ、今後も五輪のたびに同じような問題が起きるのは間違いない。結局は各クラブにお願いして理解を求めるしかない。あとは選手たち自身が“五輪に行きたい”と積極的に声を上げてくれることかな――」

 選手自身が五輪参戦を強く希望すること。そうすれば、選手たちの周辺にも「行かせてやろう」とムードが高まり、現場首脳陣やクラブ側も軟化する可能性があるという見解。特に選手が熱望する意向をクラブ側の一方的な考えだけで拒否すれば、選手が反発し、両者の間に亀裂ができかねない。それを避けるために承諾する確率が高まることも見込める。

 五輪で金メダルを獲得するためにもピッチ外での戦いにも勝たないといけない。これから日本サッカー協会と欧州クラブとの交渉が本格化していくが、果たして森保ジャパンはベストメンバーを招集できるのだろうか。

(運動部デスク・三浦憲太郎)