降って湧いたような形で表面化したサッカーJ1湘南の曹貴裁(チョウ・キジェ)監督によるパワハラ疑惑は、Jリーグを大きく揺るがしている。ビッグネームを獲得するわけではなく、ユースや高卒選手をじっくり育て、相手より1メートルでも多く走ることで優位性を保つ「湘南スタイル」を確立した指揮官だけに、今回の件で現場を去ることになれば、非常に残念な話だ。

 もちろん、パワハラをはじめとするハラスメントの問題は、苦痛を受けた人のことを思えば曹監督の肩を持つつもりは全くない。現場を含め、クラブ側がダメージを受けるのは仕方のないことで、ここからどう立て直していくかが気になるところだ。

 今回の話で、ふと思い出したのが、ドイツで異彩を放ったフェリックス・マガトという監督だ。元西ドイツ代表でW杯にも出場し、名門バイエルン・ミュンヘンでは2年連続国内2冠を達成。ボルフスブルクでは当時日本代表で頭角を現してきたMF長谷部誠を擁し、就任2年目の2008—09年シーズンでリーグ制覇を果たした名将だ。

 マガト監督の特徴は、何といっても過酷なトレーニング。ドイツ国内では「軍隊式」と呼ばれ、1日3部練習を課すこともあった。これを経験した長谷部は「正気の沙汰じゃないですよ(笑い)。まさか欧州にきて、こんな練習をするとは思っていなかった」と話していた。

 選手との対話はほとんどなし。規律を乱した選手には厳罰を与え、移籍志願をした選手は徹底して起用しない。長谷部も一度、シーズン前に移籍を模索しながら残留したことがあったが、その時も3か月以上ベンチ入りすら許されなかった。選手の起用法は監督の専権事項だけに誰も文句は言えないが、見方によっては立派なパワハラだ。

 一番衝撃を受けたのは長谷部のこんな言葉だった。

「めったに雑談もしない監督が珍しく『ハセは彼女はいるのか』と聞いてきたことがあったんです。いるともいないとも言わなかったけど、そうしたら『結婚する気はあるのか。だったら今はやめておけ。結婚は現役を引退してからもできる。でも、サッカーは今しかできない』と。ちょっとびっくりでした」

 プレーだけでなく、選手の結婚までコントロールするのだから、一歩間違えれば人権侵害だ。当時、長谷部には交際している女性がいたが、この言葉が強く頭に残り、結婚に踏み切れなかったという話もあったとか、なかったとか。このマガト監督の話が本当なら、ある有力選手が「俺はマガトにキャリアをつぶされそうになった」と話していたのも決して冗談ではない。それでも長谷部は厳しい練習が「今の自分を支えている」と感謝を口にしている。

 マガト監督には一時、J1鳥栖の監督就任の可能性があったものの、交渉はまとまらなかった。もし鳥栖入りが実現していたら、日本でどんな指導をしていたのか。今でも見てみたい気持ちは強い。

(運動部デスク・瀬谷 宏)