Jリーグ川崎フロンターレの助っ人に、かつてジュニーニョというFWがいた。2003年、当時J2だった川崎に加入したジュニーニョは、初年度からいきなり得点ランキング2位になると、翌年には37ゴールを挙げて見事得点王。J1昇格に大きく貢献した。その後も得点ランキング上位の常連で、07年にはJ1でも得点王に輝くという偉業をやってのけたのは、サッカーファンなら知らない者はいないだろう。

 そんな強力ストライカーが08年、列島を沸かせたことがある。何と日本国籍取得を希望していると報じられたのだ。もし実現すれば、日本代表入りは確実。となれば、得点力不足に悩む代表にとっては朗報で、10年W杯南アフリカ大会での躍進も大いに期待された。

 当時サッカー担当記者だった私は、代理人に確認すると「事実だよ」と認めた。日本の生活環境の良さや子供たちの教育のことを考えて、ジュニーニョ本人が希望したものだという。すでに法務局に帰化申請すればいいという段階だった。

 ただ、許可されるための条件はなかなかハードルが高い。日本で5年以上居住していることや、生計を営むことができていること、素行が良好であることなどをクリアしなければならない。一番やっかいなのは日本語の読み書きだ。法務局に問い合わせると「海外で生まれている場合、小学3〜4年生レベルの漢字テストがある」という。ジュニーニョはどうだろう? 同クラブの選手らに聞いてみると「会話は何とかできるけど、読み書きはどうかな…」とちょっと怪しいものがあった。

 これは本人を直撃しなければなるまい。なにせ、帰化した外国人は日本語名に漢字を当てる慣例もある。ラモス瑠偉、田中マルクス闘莉王、三都主アレサンドロ…。漢字はある意味、日本国籍を取得した印ともいえるからだ。

 練習後、クラブハウスから出てきたジュニーニョに聞くと「漢字? 難しいね」とやはり苦戦しているようだった。それでもめげずに毎日勉強しているという。しかも「実は今、漢字の日本語名も考えているんだ」と言うではないか。

 ブラジル人点取り屋は本気だ——。感慨にふけった私は「じゃあ、こんなものはどう?」とおせっかいながら、日本語名の候補をジュニーニョに提案してみることにした。「樹新如」「濡仁井女」「寿兄女」「呪尼尿」「受新如」…。はっきり言ってただの当て字である。すると、ジュニーニョは目を見開いて「おお! これ、いいな」とか「う〜ん、これは書きにくい」と身を乗り出して悩み始めた。そしてついに「これがいい! これはシンプルで形も気に入った」と示したのは、何と「呪尼尿」! まさか呪われた尼さんのオシッコをチョイスするとは…。私はそれをノートに大きく書くと、笑顔のジュニーニョに持たせて写真をパチリ。翌日、本紙で記事化されたのだった。

 だが、結局帰化は認められなかった。理由は「読み書きがうまくできない」「ブラジル代表として出場経験があった」「書類に不備がった」などいろいろあったと聞く。そして、サムライブルーをまとった「呪尼尿」がピッチを駆け回ることも幻に(笑い)。何とも残念である。

 すでに現役を引退したジュニーニョは現在、故郷ブラジルに住んでいるという。日本人になることはかなわなかったが、今年のW杯ロシア大会での日本代表を見守っていることだろう。

(文化部デスク・土橋裕樹)