先月開催された「島ぜんぶでおーきな祭 第10回沖縄国際映画祭」で、レイザーラモンRG(43)を取材した。東スポWebでも既報したが、RGは4月22日に行われた音楽ステージ「波の上スーパー歌謡祭」に登場。作曲家・中村泰士氏と「北酒場」を熱唱した。

 中村氏が作曲し、細川たかしが歌った「北酒場」は1982年の日本レコード大賞を受賞した。細川の弟子“こぶしたかし”としても活動するRGにとっては、細川の師匠に当たる中村氏は“大師匠”。舞台ではRGが「僕もプロデュースされてるようなもんですよね?」と言うと、中村氏も「孫弟子やな」と笑顔で答えるシーンも見られた。

 芸人として、RGはよく“鉄のハート”とか“強心臓”などと言われることが多い。確かに細川のモノマネをやり続けたのは“鉄のハート”がなければできなかっただろう。

 RGが細川のモノマネを始めたのは、一昨年暮れ。だが当初、髪の毛を半分剃り上げてモノマネをしたことで細川が激怒した。RGが所属する吉本興業の大郫洋社長に「電話してクビにする」とまで話していたが、テレビ番組で共演して無事に和解に至った。それどころか、弟子として公認。自ら“こぶしたかし”と命名し、いまでは2人一緒にイベントを行うほどの仲だ。

 ただ“強心臓”と聞くと「怖いもの知らずで、スベることを恐れない」と思われがちだが、RGは「人を怒らせても平気」というタイプではない。むしろ人一倍、臆病な面を持っている。

 実際に細川に初めて会った時について「本当に怖かった」と振り返っている。普通なら「細川が怒っている」と聞いた時点でモノマネをやめてもおかしくないが、RGはそうはしなかった。

「“強心臓”というとふてぶてしい感じに聞こえるが、実際のRGはそんな性格ではない。『怒っている』と聞いてホントにビビっていたが、それでも“やり続けるのが芸人”と腹をくくり、逃げないで細川と会うことを選んだ。その結果、弟子として認めてもらったんです」(お笑い関係者)

 中村氏と「北酒場」を歌ったステージでもこんなことがあった。歌う前、RGは「皆さん、歌の途中で『た〜いじ、た〜いじ』とやりましょう!」と客席に“たいじコール”を要請したが、中村氏に「ちょっと待て。“たいじ”はええわ!」と拒否されてしまった。

 しかし曲が始まると、RGは客席に向かって「た〜いじ、た〜いじ」と一人でやり始めた。最初は誰もやらなかったが、RGが何度も要求すると、客席から“たいじコール”が巻き起こった。

 終了後、記者が「すごい盛り上がりで、すごかったですね」と言うと、RGも「すごかったでしょ?」とご満悦。「最初、中村先生に『やめてくれ』と言われたから、やったら怒られるかと思ったけど、喜んでくれたのでよかったです」とホッとした表情を浮かべた。

「とにかく、どんなネタでもやり続けることが大事、というポリシーがあるようだ。ハートが強いといっても、決して“スベっても平気”ではなく、“スベってもやり続けることが大事”と思っているんです」(同)

 RGの代表的なネタに「“あるある”を早く言いたい」というものがある。これは有名な歌に乗せて「○○の“あるある”を言いたい」と言いながらなかなか言わず、曲の最後になってようやく言うというものだ。

「これも最初は“つまらない”と批判を浴びた。まあ、この批判は今でもありますけどね(笑い)。それでもやり続けることで徐々に浸透。今は営業の鉄板ネタになっている」(吉本関係者)

 これも“鉄のハート”を持つRGだからこそできたことだが、一方でこんな話もある。「吉本の養成所のNSCでは『RGのマネはするな』と教えられている。特に“あるあるネタ”などはウケる方がおかしい、と(笑い)。あれはRGだから成立するけど『ほかの人がやったらひどい目に遭うから、マネするな!』って」(同)

 一般的なお笑いの方程式には当てはまらない芸人、RGにこれからも注目していきたい。

(文化部デスク・藤野達哉)