毎年、この時期になると1994年10月8日にナゴヤ球場で行われたあの試合を思い出す。日本のプロ野球史上初めて、公式戦最終戦で同率首位のチーム同士が直接対決で優勝を争った中日と巨人による「10・8決戦」だ。

 この年はシーズン序盤から長嶋・巨人の独走ムードで、高木守道監督率いる中日はずっと5割前後をウロウロしていた。7月に一部スポーツ紙が「中日の次期監督問題」を報じたことからストーブリーグに火がつき、ペナントレースどころではない状況に突入。ところが中日は9月中旬からの9連勝で一気に巨人に接近し、129試合終了時点で、両チームは69勝60敗で並び10・8決戦を迎えることになった。

 当時、自分は中日担当1年目。優勝争いと監督問題が同時進行するというとんでもない展開に、とにかくあたふたしていた。毎朝5時半起きで中日の加藤巳一郎オーナー(当時)の自宅に行き、監督問題についての取材。それが終わるとナゴヤ球場へ移動し、練習を見てから取材。夜は試合の後、取材をして原稿を書く。そんな毎日の繰り返しだったが、中日が勝って首位・巨人との差が詰まっていくごとに、とにかく名古屋の街は盛り上がっていった。

 そんな状況だっただけに、10・8決戦当日は試合開始前から異様なムード。何しろ勝った方がその瞬間、優勝である。不測の事態に備えて球場内には多くの警備員が配置され、制服姿の警官もあちこちに見られた。しかもこの年、シーズン210安打を達成して大フィーバーを巻き起こしたイチロー(当時オリックス)までもが球場にやってきて(中日ファンだったイチローは三塁側のスタンドで観戦した)、取材陣はてんやわんや。長嶋監督が「国民的行事」と呼んだこの試合の視聴率は、プロ野球中継史上最高の48・8%を記録し、瞬間最高視聴率は67%まで跳ね上がった(いずれもビデオリサーチ調べ、関東地方の視聴率。名古屋地区はさらに高かった)。

 結局、槙原―斎藤―桑田の3本柱を惜しげもなくつぎ込んだ長嶋采配がズバリと決まり、巨人が63で勝利を収め優勝。高木監督はあと一歩のところで胴上げを逃し、涙で球場を後にしたが、何より名古屋人の受けた“10・8ショック”は大きかった。「巨人との最終決戦に負けたことには触れたくない」。試合直後からそんな空気が街に充満。決戦当日は土曜日でこの日から3連休だったのだが、土曜の夜から体育の日の月曜日にかけて、名古屋の街はまるで死んだかのように静かで活気をなくしていた(と自分は感じた)。

 あの時、名古屋全体が意気消沈してしまったのは、それほど中日ドラゴンズというチームが名古屋市民に愛され、名古屋のシンボルとなっていたからだったと思う。今中、山本昌、郭、大豊(故人)、立浪、仁村弟、中村、彦野…。名古屋人のほとんどが中日ナインの名前を知っていて、日本中のどの球団のファンにも負けないくらい熱く応援していた。

 あれから23年…。チームは5年連続Bクラスに終わりナゴヤドームはいつもガラガラ。10・8決戦で名古屋を熱くさせたかつての主力選手たちの名前はなぜか、現在の首脳陣の中には一人もない。

 満員のナゴヤドームでいつかまた「国民的行事」と呼ばれるくらい熱い試合を――。名古屋を盛り上げるためにも中日ドラゴンズに期待したい。

(中京編集部長・宮本泰春)