ギャンブル好きだった平尾昌晃先生 小学校の修学旅行に「マージャンパイ」持参

2017年08月31日 12時00分

「瀬戸の花嫁」や「よこはま・たそがれ」など数多くのヒット曲で知られる作曲家の平尾昌晃さんが7月21日、肺炎のため79歳で死去した。

 

 音楽界では誰もが一目置く大作曲家にもかかわらず、平尾先生ほど誰にでも気さくに接する人は、今まで見たことがない。平尾先生の趣味は野球、ゴルフとギャンブルなど。これだけの大作曲家なのに、取材させてもらった内容は音楽よりギャンブルが圧倒的に多かった。

 

 一度、ギャンブル歴を聞いたところ「長いよ〜。僕は小学校の修学旅行にマージャンパイを持っていった男だから」との答えが返ってきた。「当時はお米が配給でさ、旅行に必ず持っていかなきゃいけないのに、お米は忘れちゃった。でもマージャンパイだけは持っていったんだ」

 

 印象に残っている取材は2011年、競馬の日本ダービーを前にしてインタビューさせていただいた時。平尾先生は、この年のダービーに出走したローズキングダムの一口馬主だったのだ。

 

 ちなみに平尾先生が最初に馬主になったのは1975年だった。

 

「『旅愁』って歌がヒットしてたから、最初の馬はリョシュウハヤテという名前を付けた。その次は『紅すずらんの伝説』って歌にちなんでベニスズラン。3頭目はタツノエイト。原辰徳君が巨人に入ってきて、背番号8だったから『付けていい?』って頼んだら『いいよ』って言ってくれたんだよ」とうれしそうに話していた。

 

 馬主として、馬への愛情はあふれるものがあった。「馬主は、馬が好きでやってるんでそんなに欲はかかない。自分の馬が出るレースは、子供が運動会に出るような心境。走りだすとドキドキしちゃって『もう無事に帰ってくればいい』と思っちゃう」

 

 競馬よりもキャリアが長かったギャンブルがオートレースだ。埼玉・川口オートレース場のテーマソング「ぶっちぎりの青春」を作曲したのも平尾先生だった。ただ長くやっていても、そんなに儲かったわけではないらしく「ギャンブルは長くやっていても、全然うまくならないね」。そこで「今までオートレースにどれくらい使ったんですか?」と聞いたところ「川口オートレース場にある柱の1本くらいは僕が貢献したかな」と苦笑していた。

 

 最後にじっくり話をしたのは、一昨年のこと。体調が悪いと聞いていたが、その時は元気そうな様子だった。当時、オートレースの名選手だった片平巧選手が死去したというニュースがあり、死因が発表されていなかったため平尾先生は「あれはどうだったのかな?」と聞かれたことを記憶している。

 

 オートレースや競馬を愛した先生のご冥福を改めて祈りたい。

 

(文化部デスク・藤野達哉)