中日の落合博満GMが1月31日の契約期間満了に伴い、ひっそりと退団した。チームを4度のリーグ優勝や53年ぶりの日本一に導いた大功労者が去ることになったのは、昨年8月に球団に届いていた脅迫状の存在も影響したと言われている。何とも残念な話だ。

 GM就任早々、長年チームを支えてきた井端弘和選手(現巨人コーチ)に大幅減俸を迫り、巨人へ移籍させてしまったことなどから落合GMには「冷酷なコストカッター」というイメージがついてしまった。結果的にこれはドランゴンズにとっても本人にとっても大きなマイナスになってしまったと思う。谷繁前監督との確執も重なり、この3年間、名古屋では“オレ流”に対する負のイメージばかりが増幅していったが、本来の“オレ流”とは、もっとおおらかであり、和やかでユニークなものだったはずだ。

 2008年まで、自分は落合ドラゴンズを担当していた。その間、東スポが報じてきた落合監督のエピソードのいくつかを改めてここで紹介する。

・2006年のリーグ優勝を決めた後のビールかけで長男の福嗣さんと歓喜の親子キス!

・2007年のクライマックスシリーズで原巨人を3タテして日本シリーズ進出決定。自宅に戻った後、録画してあった「機動戦士ガンダム00」を見ながらつぶやいた一言が「勝った後のガンダムは最高だな」。

・ロボットSFアニメ「交響詩篇エウレカセブン」に出てくるセリフ「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」が気に入り、「これいいよ。何事も夢見て願うより、勝ち取る力が必要なんだ」と日本ハムとの日本シリーズに向けて気合を入れる。

・愛車アストンマーチンのエンジンを掛ける時に「トランザム!」と叫ぶ(注・トランザムとは「機動戦士ガンダム00」に出てくるガンダムのスペックを3倍にするシステムのこと)。

・携帯電話の着信音はL’Arc〜en〜Cielの「DAYBREAK’S BELL」(注・「機動戦士ガンダム00」の主題歌だったこの歌がお気に入りだった)。

・2008年のシーズン開幕前に福嗣さんと焼き肉屋で決起集会。「優勝できなかったらガンダム禁止だからね」と福嗣さんに持ちかけられ絶句。ハラミを焼いていたハシが思わず止まる(結局、この年は優勝できずに半年間のガンダム禁止が科せられる)。

・ガンダム禁止令が解除された2009年の開幕戦(横浜戦)当日に落合監督は見ることができなかった「機動戦士ガンダム00シーズン2」の1話から17話までを徹夜してチェック。開幕戦が終わった後に18話から最終話(25話)まで一気に観賞する。なお、この開幕3連戦では横浜を3タテした。

 思い返してみると野球のことではなく、ガンダムやアニメに関することばかり記事にしていたような気がするが、それが求められるのが東スポであり、そういったニーズにピタリとはまるキャラクターの持ち主が落合監督だった。長嶋茂雄読売ジャイアンツ終身名誉監督や元ヤンキースの松井秀喜さんらと並んで「東スポに最も愛された野球人」といっても過言ではないはずだ(ご本人には迷惑だったかもしれないが…)。

 それだけにドラゴンズのGM職に就いてからの、どこかぬくもりが感じられなくなってしまったオレ流には外から見ていてずっと違和感を感じていた。GMだからといって周囲の人たちも腫れ物扱いするのではなく、もっとぶつかっていけばいいのに…と内部事情については門外漢ながら勝手に思っていたものだ。

 実は昨年7月に落合GMに取材を申し込んだ。お願いしたのは名古屋のアイドルグループ・SKE48の高柳明音さんとの対談。大のドラゴンズファンであり、SKEの中で最も熱いメンバーといわれている高柳さんとの対談が実現すれば、落合GMが本来、持っている温かくユニークな部分を伝えることができるのではないか。そんな思いでお願いしたのだが「この仕事に就いている間はそういった取材は受けないことにしている」と残念ながら実現には至らなかった。

 それでも落合氏といえばONや野村克也氏、星野仙一楽天球団副会長らと並び立つ「日本プロ野球界の生きる伝説」である。機会があればまた、オレ流取材にチャレンジできればと思っている。

(中京編集部長・宮本泰春)