ハダカの長嶋巨人(10)

2014年08月25日 12時00分

【桑田真澄の巻】

 長嶋巨人で強烈な個性と存在感を放っていたのが桑田真澄さんだ。

 今でこそ球界きっての理論派として、独自の観点からの解説や指導方法などが注目されているが、自分が東スポに入社した当初、1993年ごろの桑田さんは、まだ「ダーティーヒーロー」の面影が残っていた。特にベテラン記者からの“偏見”が強かったように思う。

 巨人入団時の密約説から始まり、女性問題、登板日漏えい疑惑に「投げる不動産屋」と言われたことまで…。記者との関係が悪くなるのも無理はないところで、当然、マスコミに不信感を持った桑田さんの周囲はいつもピリピリしていた。

「プロの記者としてそんな質問をして恥ずかしくないんですか? もっと勉強してきてくださいよ」

 他社の年配の記者がそんなふうに桑田さんにやり込められている姿も何度も目にしたし、逆に試合で好投していた桑田さんが突然、崩れたりすると「どうせ桑田のことだ。何かやっているんだろう」とベテラン記者たちがささやき合っていたものだ。

 だが、時には恥ずかしい質問をしなければならないのが東スポの記者の仕事でもある。桑田さんには何度もやり込められながらも、突撃を繰り返していくうち「この人はそんなに悪い人ではないのではないか」と思うようになった。

 借金問題について直撃した時には「人の借金のことなんてほっといてくださいよ!」と、至極当然な一喝をされたのちに「家を買うときには誰だって借金はするでしょ。借金をすることは決して恥ずかしいことではないと思うんです」と独自の“借金観”を話してくれたし、野球とまったく関係のないテーマにもかかわらず「日本はもっと同性愛者について理解を持つべき」なんて熱く語ってくれた(注・桑田さんは同性愛者ではない)こともあった。

 そうこうしているうちに桑田さんは94年のあの「10・8」で胴上げ投手となり、95年に右ヒジを手術。97年に復活した姿は感動を呼んだ。そのころにはダーティーな印象も消え、マスコミとのピリピリした空気もすっかりなくなった。むしろ…。若手記者には慕われる存在となっていた。

 マスコミにあそこまで叩かれ、選手としてもヒジの手術で地獄を見た。そんな桑田さんだからこそ、自分はもう一度巨人のユニホームを着た姿を見てみたいと思う。昨年の国民栄誉賞受賞以来、松井秀喜の監督就任話が先行している感があるが、松井よりも前にこの人がいることをお忘れなく。

(運動部デスク・溝口拓也)