【デスク発ウラ話】宮間あやが守り通した「なでしこの伝統」

2019年05月13日 12時00分

 あの歓喜から8年がたった。2011年サッカー女子W杯ドイツ大会、なでしこジャパンが奇跡の初優勝を飾ったシーンは今でも感動を思い出させてくれる。同年3月、未曽有の大災害となった東日本大震災の後、スポーツ界は被災者の方々に何とかいいニュースを届けようと一致団結。そんな中でなでしこジャパンは男子サッカーでもつかんだことのない世界一の称号を手にした。

 この大会でMVPと得点王の個人2冠に輝いた澤穂希が最大の功労者だが、それを支えたのが宮間あや。男子にも引けをとらない正確無比なプレースキックが武器で、CKから決勝の澤の同点弾をアシストしたのは記憶に新しい。とにかく技術的にケチをつけるところはどこにもなかった。

 だが、この宮間、取材者泣かせの選手でもあった。ドイツW杯優勝後、日本でのなでしこフィーバーに真っ先に苦言を呈したのも宮間。これはメディアの報道に偏りがあったことや、ワイドショー的な取り上げ方が多かったので、宮間が「もっとサッカーを取り上げてください」と言ったのも無理はない。実際、サッカーの話を振ると口調は熱かった。「プレーを見て、称賛も批判が出る。そんな男子サッカーのような流れが女子サッカーにもあってほしい」と“キワモノ”として扱われることを嫌った。

 その後、澤から主将をバトンタッチされた宮間は、さらに取材するのが難しい選手になった。こちらから何を聞いても、まずは「否定」から入る。口癖は「けど」だった。もちろん、ドイツW杯後のことを覚えているから、担当記者たちは“チャラい”話題は振らない。それでも、こちらが無難な質問をしても、「けど…」と一旦はさえぎられる。当時は正直「面倒だな」とも思ったが、これは宮間の「自分の言葉でしっかりと伝えたい」という姿勢の表れであって、質問に誘導される形を好まなかったのだと思う。

 主将として仲間を守りたかったという思いもあったはず。影響力がある自分が余計なことを言えば、チームが揺らぐこともわかっていた。だから無難な言葉に終始した。ここまで書くと、頭がカチカチの偏屈者みたいに捉えられてしまいそうだが、実際はオフになれば他の選手たちとふざけ合い、ちょっぴりイタズラ心もあるおちゃめな選手。そう考えると、やはり主将としての宮間は、あえて“取材するのが難しい選手”を装っていたのかもしれない。

 2016年リオ五輪のアジア予選で敗退し、その後は所属クラブでのトラブルなどもあって、宮間は表舞台から退いた。非常に気の毒なのは、予選敗退後の報道で、宮間と他の選手との関係が悪化していた、といった話が多かったこと。確かに宮間の言葉は厳しい。だが、そのくらいの厳しさがなければW杯優勝といった偉業も成し遂げられなかった。もし、本当に宮間と若手選手の間に溝があったのであれば、それは若手選手のほうが甘いと思わずにはいられない。

 なでしこジャパンの強みは「どんなことでも言い合える関係性」と「逆境をはね返す反発力」だと思う。前哨戦で大敗しても、チーム内の話し合いで修正点を見極め、同じ方向を向いていける。10日にフランスW杯(6月)のメンバーも発表され、王座奪還に向けて態勢は整いつつある。宮間が最後まで守り通したなでしこの伝統は、令和に変わった今のチームにも受け継がれていると信じたい。

(運動部デスク・瀬谷 宏)