【デスク発ウラ話】裕也さんのロックな生きざま

2019年04月08日 12時00分

内田裕也さん

 日本のロック界をけん引してきた大御所の内田裕也さん(享年79)は東スポを愛してくれていたと思う。2009年夏、大阪・ミナミの旧精華小学校グラウンドでのライブ前にインタビューした際、緊張感を漂わせる控室に入ると、裕也さんは「俺は東スポが好きなんだよ。何でも言ってくれ」と気安い雰囲気をつくってくれた。

 音楽のみならず、政治やテレビ業界、スポーツと世間の動きを見つめ、ロックな言動で世相を切る感性が魅力だった。学生時代から音楽のみならず、裕也さん出演の映画にほれ込んでいた記者は「裕也さんのすごさは感性の振り幅の広さにあると思う」と言うと「君、いいこと言うじゃねえか。俺の本を書いてくれよ」と返してくれ、舞い上がってしまった覚えがある。70歳を前にしながらも白熱のステージを終え、楽屋にあいさつに行くと、頭から湯気を立てながら半ば放心状態で「東スポ…よろしく」と笑ってくれた。

 11年に東北で大震災が起きると裕也さんが立ち上がった。白髪を肩まで伸ばした独特の風貌でロック仲間と被災地や東京、大阪でライブ募金活動を開始。「原発問題に無関心な役者が多すぎる」「被災地でライブをやるのはロックンロールの義務だ」。ミナミで再び裕也さんを取材した際、裕也さんが若い時代を過ごした道頓堀近くの喫茶店に入った。同じテーブルの正面に座ったのだが、裕也さんはどうも落ち着かない。席を立ったと思うと店内をウロウロし、なんと他の同世代のお客さんを見つけるや「昔、このあたりにナンバ一番がありましたね」「このあたりでよく遊んでましたか」などと声を掛けまくるのだ。記者はひとりぼっちにされてしまったが、いかつい風貌に似合わず、同世代の夫人らと昔話を楽しむ人懐こさがほほ笑ましかった。

 そのころにはつえを携えていた。足腰も弱ってきていたと思うが「病院なんて行かねえよ。ロックンローラーが病気だなんてカッコつかないだろう。杖は護身用だ。いざとなったら中から日本刀が出るんだ」とウソぶいていた裕也さん。晩年にジャケットにつけていた缶バッジの言葉「KEEP CALM AND CARRY ON」(動じずに継続せよ)こそ、裕也さんのロックな生きざまのキーワードだったと思う。

(運動部次長・西山俊彦)