スポーツ取材をしていると、主催者側は東スポのような紙媒体(フリーランスを含む)とテレビとを分けて取材エリアをつくる。お互いの特性というか、メディアの性質を考えた形ではあるが、これは「ミックスゾーン」というエリアが存在する場合の話だ。選手のぶら下がり取材では新聞記者もテレビ局の記者も同じ輪に入ってコメントを取る。時には女子アナも加わって選手の話に聞き入る。

 言い方は悪いが、顔の売れた女子アナはそんな輪に加わらなくても、ペン記者たちの取材が終わった後に、待っていれば選手のほうから寄ってくることだって少なくない。だが、サッカーの現場ではJリーグ創設当初から女子アナの方々は積極的に取材の輪に加わってくることが多かった。その傾向が強かったのがフジテレビだった。

 西山喜久恵アナがその道をつくったのが大きいのか、サッカー取材に訪れた歴代アナウンサーたちは熱心だった。ディレクターが何も言わずとも選手や監督、時には強化部長といった幹部の話まで聞きに行く。印象的だったのは本田朋子アナで、彼女は雑談レベルの輪にも顔を突っ込んでいた。サッカー界には「サッカーファミリー」という独特のコミュニティーがあるが、本田アナは同業者から見ても立派な「ファミリー」だった。すごく勉強していたのも知っている。

 ある時、恐れながらも聞いたことがある。

「本田さんくらいの方なら、こんな泥くさい新聞記者と同じ輪に加わって話を聞かなくても、十分に選手からいい話を聞き出せると思うんですけど…」

 すると、真顔でこう返された。

「それとこれでは聞ける話も違うじゃないですか。それに、記者の皆さんがどういう質問をするのかとか、聞き方とか、私はそのへんがまだ分かっていないので」

 まあ、東スポが聞くような話をスタンダードと捉えられても困るのだが「大丈夫です。その辺はディレクターからちゃんと聞いてますから」と。よく“教育”もされていたようだ。

 だが、歴代のフジテレビの“サッカー担当”女子アナが取材熱心だったのは、本田アナの時代くらいまでだった(あくまで、現場の感覚だが)。テレビ局側がアナウンサーを守ろうとしたからなのかは知らない。ただ、妙にリンクするのが、そのあたりからフジテレビは勢いに陰りが見え始め、やることなすこと、すべてが裏目に出るようになったということだ。

 たかがスポーツ、されどスポーツ。細かいことにこだわり、コミュニケーションを大切にしてきた本田アナたちの姿勢は貴重だった。凋落が叫ばれて久しいフジテレビだが、そのきっかけは案外こんなところから見えていたのかもしれない。

(運動部デスク・瀬谷 宏)