【土井正三コーチの巻】

 毎年キャンプが終わり、オープン戦が始まるころになると土井さんのことを思い出す。

 土井さんとは長嶋巨人のコーチ時代からの付き合いで、本紙専属評論家となってからは自分がコラムを担当していたのだが…。あれは2007年のことだった。キャンプ取材を終えて東京に戻ってきた土井さんが「今年のキャンプはやけに疲れたなあ」と軽い気持ちで病院に検査を受けに行ったところ、末期の膵臓がんが見つかったのだ。

 だが“生還率”が極めて低い膵臓がんにもかかわらず、土井さんは大手術から奇跡の生還。6月には東京ドームで行われたイベントに車椅子姿で出席するほどまで回復した。当初は「余命3か月」と宣告されたものの、闘病生活は実に09年の9月に亡くなるまで2年半にも及んだ。その間、病室やご自宅でいろいろな話を聞かせてもらったが、なかでも土井さんが喜んで話してくれたのは、イチロー(当時はシアトル・マリナーズ所属)の話だった。

「イチローがなあ、オレの病気のことを心配してくれてるんだよ」

「早く病気を治してシアトルまで応援に行ってやらにゃいかんな」

 土井さんが喜ぶのも無理はない。土井さんがオリックス監督時代、イチローを使わなかったことで両者の間には“確執”があると言われていて、土井さんもそれを気にしていたからだ。

 土井さんがイチローを使わなかった理由は主に2つある。

 まずは「川上さんが高田にしたように、這い上がってくるのを期待した」というもの。巨人の川上哲治監督が、ある試合でミスをした高田繁を懲罰的な意味合いを込めて二軍に落とした。すると発奮した高田はその後一軍に復帰するや、またたくまにレギュラーの座をつかんだ。土井さんもそれと同様、走塁ミスをしたイチローを、懲罰的に二軍に落としている。

 そしてもうひとつは、イチローのスイング改造に取り組んでいた米村打撃コーチ(当時)を守るため…。たとえその選手にとって適切ではなかった指導だとしても、やはり組織の長としては「自分の打ち方でやらせてほしい」と、コーチの指示に従えない選手を一軍には置いてはおけない。そんな事情もあったのだ。

「周りはあれこれ言うけど、イチローがどう思っているかは、本人に聞いてみないとわからない…とずっと思っていたんだ」

 だが、そうした思いをイチローは理解してくれた。そんなうれしい気持ちが、病気と闘う土井さんの心の支えになっていたことは間違いない。

(運動部デスク・溝口拓也)