【ニュースのフリマ】ラグビー具智元の父が最もW杯に近づいた瞬間

2019年09月04日 16時05分

 負傷のためメンバー選出が危ぶまれたが、ラグビーW杯日本代表FWに名を連ねた具智元(ホンダ)が生まれた1994年からさかのぼること4年、父親の韓国代表FW具東春にもW杯に近づいた時があった。90年4月11日、東京・秩父宮で行われたW杯アジア・オセアニア予選の日本代表戦。現在の息子と同じ25歳だった。

 韓国は86年、88年のアジア大会で日本を破って優勝。87年の第1回W杯は予選がなく招待制で開催され、アジア王者ながら切符は届かず。日韓に西サモア、トンガが参加し上位2チームが91年W杯に進める予選では、連続出場を狙う日本のライバルとして立ちはだかった。要注意の一人が「アジア大会で腰痛に耐えながら日本のスクラムをズタズタに切り裂いたPR具東春」(ラグビーマガジン)。韓国はチーム全体が激しさを売りにしていた。

 初戦で西サモアに大敗した韓国は、トンガを倒して2戦目を迎えた日本に襲いかかる。前半半ばまでに2トライ(当時は4点)で10—0。ハーフタイム寸前までこの点差を守った。あと40分ほど攻めて守れば、第3戦の結果次第でW杯が現実に。時計が前半の40分を回り「世界」がチラついた一瞬、日本のFB細川隆弘(神戸製鋼)のトライ(ゴール)で4点差に詰められた。

 ラグビーに限らず、前後半の立ち上がりと終盤が危険な時間帯とはよく言われること。それを地でいくように日本は後半早々に追いつくと、間を置かずにトライを挙げて逆転し、26—10で勝負をつけてW杯出場も決めた。

 現場にいた筆者の記憶はもはやおぼろげだが、日本のスクラムがズタズタにされた局面はなかったように思う。それでも韓国は半年後のアジア大会決勝で日本に競り勝って3連覇。いまだW杯出場を果たせない韓国が日本を最も追い詰め、W杯に接近したのが90年前後の数年間だと言える。

 同じプロップとして父の夢も背負って世界のピッチに立つであろう具智元。サッカー日本代表の人気が高いのは、アジアでも上位勢には簡単に勝てない緊迫感も理由の一つで、とりわけライバル同士の日韓戦はファンを呼ぶブランドでもある。W杯の反動がくる「ポスト2019」が心配されるラグビー界にとって、まさに具東春が体現した強い韓国も待たれるところだ。

(渡辺 学)