【ニュースのフリマ】電波文化人の先駆者だった竹村健一氏

2019年07月12日 15時16分

 あれだけメディアに出まくっていた人がこの十数年ほど露出がなかったものだから、長らく病に伏せていたのかと思いきや、入退院を繰り返したのは、この2年ぐらいだというから驚いた。8日に89歳で死去していたことが11日明らかになった評論家の竹村健一氏である。家族の談話によると80歳で引退後はテニスや旅行を楽しんでいたとも報じられた。

 竹村氏の前後生まれでテレビで活躍した文化人というと、評論家・作家の草柳大蔵氏(1924—2002)や政治家にもなった大橋巨泉氏(34—16)の名前が浮かぶが、巨泉氏は芸能人といえる存在で、大蔵氏はジャーナリストの色合いが濃かった。竹村氏は毎日新聞社出身とはいえ、アカデミズムやジャーナリズムの色は薄く、セルフプロデュースに長けた電波文化人のさきがけと感じられた。

 口にする「モーレツからビューティフル」(創作者は別人)「日本の常識は世界の非常識」はキャッチコピーのごとく聞き手の耳に迫り、ラジオ深夜番組「ミッドナイトエクスプレス」の「ディス・イズ・ケンイチ・タケムラ」で始まるトークで、「ティス・イズ」は後に「ペン」が続くだけでなく、名乗りの際にも使えることを知った。この恒例オープニングトークを通じて「コレスポンデンツ(特派員)」などの英単語も習得。番組名の頭には名前もついていたが、芸能人でもないのに冠番組が多かった。

 東京都知事の小池百合子氏がメディアで活躍する足掛かりとなった「世相講談」(世相漫談と言われて怒ったことも)にしばしば出演したのが、南ドイツ新聞の著名記者ゲルハルト・ヒルシャー氏。さらには同氏の話から、未来学者アルビン・トフラーや文明批評家マーシャル・マクルーハンの名も覚えた。

 死去に際して「500冊以上の著書」(共同通信)と記されたが、筆者が竹村氏にハマった80年前後、すでに自称300冊ぐらいだったと記憶する。年に50冊ペースで、「週刊竹村」とやゆするメディアも。英語や情報収集・整理術などのノウハウものが多く、歯を磨いてから湯沸かししてコーヒーを飲むより、やかんをガスにかけてから歯を磨けば、終わってすぐにコーヒーが飲めるので、時間の節約になるといった合理的思考法の例は、複数の本に書かれていた。

 たとえ話は巧みで、防衛費拡大について「福祉の支出が多少減ってもすぐに死ぬ人はいないけれど、国土を防衛できなければ国民が死ぬ」といった論法は、良しあしはともかく、分かりやすさから現在でも同様の主張が聞かれなくもない。「スイスの高速道路はイザという時は軍用機の滑走路になる」といったトリビアも豊富。地価高騰の時代に「土地の値段が下がったら、どんなことになるか考えた方がいい」と提示した逆説は、デフレ時代に再考された。

 30年生まれの竹村氏にとって、大阪出身、フルブライト留学生という共通点があったのが「ベ平連」「何でも見てやろう」の作家小田実氏(32—07)。活動はまったく異なる2人だが、規格外を感じさせた関西弁文化人の一方の雄も旅立った。

(渡辺 学)