【ニュースのフリマ】大関から陥落者2人が理事長の過去

2019年05月24日 15時28分

 令和初の大相撲となった夏場所も、平成には珍しくなくなった現象が見られた。大関から陥落した力士が現役として取り続けたこと(夏場所は関脇栃ノ心)だ。

 年6場所制になった1950年代後半以降、こうした例は散見されたものの、横綱に昇進できなかった大関は地位を保ったまま土俵人生を終えることが多かった。元時津風理事長の豊山や元貴乃花親方の父・貴ノ花、北葉山、栃光、大麒麟、清国、旭国、若嶋津や朝潮のほか、近年では魁皇が該当する。

 それが平成は小錦、霧島、貴ノ浪、千代大海、出島、雅山、琴欧洲、把瑠都と続き、現役でも前出の栃ノ心のほか、琴奨菊、照ノ富士と計3人いる。あるいは武双山や栃東のように大関で引退したが、その間に陥落を味わったケースもあった。

 かつては年齢的にいっぱいの状態で地位が保てなくなり、引退を決断といったパターンが通例だった。だがスポーツ医学やトレーニング法の発達で力士寿命が延び、まだ相撲が取れるのに陥落してしまい、限界まで挑戦する力士が増えてきたと考えられる。

 関脇陥落直後に10勝挙げて返り咲いたケースも珍しかった昭和時代、陥落の屈辱を味わいながら、引退後に協会理事長ま上り詰めた大関が2人いた。

 新大関から3場所しか地位を保てず関脇に落ちたのが、三重ノ海。76年名古屋場所で10勝して返り咲くも、その後2度もカド番を迎えるなどしたが、当時としては高齢の31歳にして横綱昇進。優勝を2回飾って引退すると武蔵川部屋を興して横綱武蔵丸や武双山ら複数の大関を育て、理事長の座に就いたのは2008年のことだった。

 同じ48年生まれの魁傑はさらに波瀾万丈の土俵人生。大関は5場所で関脇に落ち、さらに平幕へ。76年に平幕優勝すると関脇で連続11勝の快進撃で返り咲き。平幕まで落ちた力士の大関復活は49年10月場所後の汐ノ海以来約27年ぶりとなった。関脇陥落直後の場所で10勝して復帰する場合に協会からの使者は来ないが、1年かけて返り咲いた魁傑は2度目の使者を迎えるという珍事も。そして4場所でまた陥落。大関から2度落ちて取り続けたのは29年ぶり史上3人目という、さらなるレアケースも生んだ。

 引退後は放駒部屋を創設し、三重ノ海同様に横綱(大乃国)を育て、ついには理事長に。在任中は八百長問題という協会を揺るがす危機に直面した。定年後に急逝。波乱と激動に包まれた大関だった。

(渡辺 学)